高橋源一郎さんの、『一億三千万人のための小説教室』を読みました。
例によって、感想は追記で挙げますので、しばらくお待ちください。
追記・感想
書評にしようと思って、読み返していたのですが、駄目です。(自分の力量不足で)
纏められません。
申し訳ないですが、殆ど今回はリタイアです。
高橋源一郎さんが、NHKの『ようこそ先輩』という番組で母校の小学校に文学とは何か、を教えにいく、という事が、高橋さんのこの本を書かれる動機になったそうです。
高橋さんが、生徒に宿題を出して、家族や知人に、文学とは何か、という事を聞いてきて、それを基に、文学とは何と思ったかを発表するという宿題があったのですが、面白いのは、殆ど誰に訊いてもバチンッと正確に、その問いに答えられる人が居ないんですね。(お寺の和尚さんだったと思うのですが、「人生が上手くいかなくて、それで悩んでいることを書くもの」と答えた方もおられました)
まえがき、から、小説をどうやって書くか、という内容の本が沢山出回っているが、それらを読んでも、別に小説が書ける訳ではないだろう、というご自身の疑問から始まっています。
私にも言えますが、厳密に小説の書き方など分からないで書いているのかも知れません。
つまり、そういう指南本の著者自体が、書き方を知らずに小説を書いているか、書き方は知っているが、教え方が分からない人が殆どなのではないか、と仰有っていました。
それで、高橋さん、この本のなかでは、手取り足取り書き方を教えるのではなく、方向性(書こうとしている人に対しての)を、『鍵』という形で、いくつか呈示されています。
小説は、書くものでなく、つかまえるもの、という高橋さんの捉え方。
壮大なフィクション(本編での例としては、海洋冒険小説)を書こうとして、結局、それを書いている自分の生活を含めて、作品のなかで少しだけそのフィクションを呈示する、全編としては、自分の日常を書いた、という他の作家のエピソード(実在の作家かどうか確認していませんので、詳しくは本編を)が紹介されます。
そういうものが、実は、小説なのだ、と仰有っています。(たとえ、フィクションで幾らでも増産できても、読者には、貴方にしか書けないそういう小説を書いてもらいたい、と仰有っています)
瞬間的に浮かび上がる「思いつき、や、記憶」を「ぶたれた犬」と呼ばれています。
ぶたれた犬は、あんまり急に動いたり、何か話しかけたり、あるいは、さすってやろうとするとーーーすっと逃げてしまうものです。(本文引用)
それは、消えていきやすいもので、それを逃さない為には、だから、捕まえようと正面から犬に話しかけないで、小説と遊んでやる、ことがいいらしいです。
そうすると、犬の方から、「何か楽しそうだなァ」と近寄ってくる、という事らしいです。
自分が惚れた作者の文体を真似ることが大事だと仰有ってました。
人は、母親(または父親)から言葉や話し方を憶えます。大人になるにつれて、友人や知人や社会の他人からの言葉も、自分のボキャブラリーのなかに入ってくるようになる訳です。
だから、始めは、母親(つまり、先輩の文章)の真似から始めましょう、と書かれていました。
誰の作品を真似るのが意義があるか、または案外楽に船出できるか、という作者紹介もされていました。
全編、フレンドリーでほのぼのとした会話調の文体で高橋さんと雑談しているような雰囲気で楽しく読めました。
何だか、今回も、感想というよりは全編紹介みたいになってしまいました。ごめんなさいネ。
コメント
>shinさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)
この本、私も読みました。非常に分かり易かったように思います。
「ぶたれた犬」を捕まえるのは、なかなかに難しいようです^^;。
>sakamonoさん
アイディアというのは、ホントに、放っておくとすぐに記憶から消えてしまいますね。私もときどき、寝ぼけまなこで必死に夢の内容を書き留めたりしていますが…。
著者によって、それぞれの方法論があるようです。
「鍵」を呈示するだけ、という方法が、何とも柔らかく接してもらってるようで気分よく読める本でした。
また、お寄りしますね。(^。^)