『桜の園』読了(追記あり)

チェーホフ作、小野理子さん訳の、『桜の園』を読みました。


桜の園 (岩波文庫)

桜の園 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1998/03/16
  • メディア: 文庫

例によって、感想は追記で挙げますので、お待ちください。

追記・感想

喜劇となっていますが、どこが喜劇なのか、本編を読んだだけでは分かりません。

解説を読んで分かりました。

時代が変わっていっている時期。その時期に地主が土地を売って没落してゆく、という事が往

々にしてあったそうです。それを、一般の人たちから見ると、手を打たないで衰退していくしか

ない領主や地主の姿が滑稽に映ったのだという事のようです。この時期のロシアの貴族階級は働

かないのが当たり前だったので(労働はしない)、働きさえすれば、生活できるのに、と一般の

人は思ったようで、そこが滑稽だったようです。(あの、全然本編の趣旨を理解していない場合

もありますので、正確には本編と幾つかの解説書をお読みください)

四幕からなる舞台劇なのですね。

その台本な訳です。(戯曲です。現代で言うと脚本ですね)

それだけに、登場人物の誰一人の心的内面も観客には語られていません。

その部分は想像するしかない訳ですね。(言動や所作などから)

登場人物が少ないというのが、それぞれに深くかかわっている状態を読むことが出来ますので、

楽についていけました。また、書く場合でも、登場人物の数を制限するというのも一つの方法と

も言えます。

先日、Gyaoで観た邦画の『櫻の園』のおかげで、登場人物のイメージを容易く思い浮かべる

ことが出来ました。でも、挿入された写真などでプロの劇団の上演のシーンを見ると、男性役は

男性がやっていますので、もっとリアルに重厚な感じなんでしょうが。

初めの話に戻りますが、登場人物の内面は想像に任されている点はあります。

だから、登場人物が、あのとき、どうして、ああいう行動をとったのか、については推測する

しかない訳です。

解説では、今までの解釈とは違う解釈(小野さん独自の解釈)を語られていました。

舞台の「桜の園」という土地の設定に関しても、チェーホフは作品中だけでなく誰にも正確な

場所は言わなかったそうです。そこがまた、観客にも読み手にも想像させるところだと言えます。

今回、ストーリーには敢えて触れませんが(ストーリーを正確には把握しきってないことも事

実ですが)、この作品を読んでいて強く感じたことがあります。

それは、迸る感情を登場人物同士がぶつけ合っているのに、事件にもシリアスな喧嘩にもなら

ないという点からの突き抜けた心地よさでした。使用人や事務員(家に雇われている)、老従僕

や外部からの提案をかけてくる実業家、といった人達は、家の者(桜の園の地主ラネーフスカヤ

や兄)などにかなり厳しいことを言われたり怒りの感情をぶつけられたりもする。(ラネーフス

カヤはどんな場面でも穏やかだったので、実際はラネーフスカヤに関しては誰かを叱りつける場

面はなかったかなぁ。ちょっと忘れましたが)使用人や家庭教師や事務員同士の言葉のやりとり

も感情をかなり載せたものです。皮肉たっぷりに相手を罵ったりもあります。それなのに、修羅

場にはならないんです。家で一番統率権があるのはラネーフスカヤや兄ですから、家の長が「も

うお帰りなさい」と言うと、皮肉な捨て科白は残していくものの、すんなりと退室するのです。

この点が、現代とは違うと思いました。分をわきまえている。現代だと、個人の権利だ何だと、

ちょっとした言葉に、立場が違っても噛みついていく人が多く、多分、あんな感情をそのまま出

した会話をしたらすぐに刃傷沙汰になるのではないか、と思いました。また、現代だから時代が

古いから、ということではなく民族的な気性でしょうか。

だから、読んでいて清々しい。納得のいくまでお互い腹の内を出し合って、すっきりした、と

いう気分になります。

歴史と土地柄を知れば、もっと深い読み方ができるのかも知れません。ロパーヒンとワーリャ

がお互いに惚れ合っているのに、ロパーヒンが押さないというのも色んな解釈があるでしょう。

私には、纏められるのはこのくらいです。

では、また。

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