『小説の読み書き』読了(追記あり)

 佐藤正午さんの、『小説の読み書き』を読みました。


小説の読み書き (岩波新書)

小説の読み書き (岩波新書)

  • 作者: 佐藤 正午
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/06/20
  • メディア: 新書

 感想は、追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 古典(ここで言う古典とは近代文学のことです)を題材にして、それぞれの書き手の癖や特徴

を吟味し、主に文体の狙いを佐藤さんが掘り下げた内容です。

 川端康成、樋口一葉、太宰治、開高健、三島由紀夫など、総勢25人の作家たちが俎上に上が

ります。その中には、佐藤正午さんも入っています。ご自身の作品を客観的に診て、決して褒め

るだけではない評論を展開されています。

 

 印象に残ったのは、この本の内容のように、現代の現役の作家たちを論じた本を一小説家であ

る佐藤氏が出されたらどうなるだろうか、という事を担当編集者と語られたあとがきでした。

 担当編集者曰く、編集者は「職を失」う、だろうとの事。書いた作家の方は、職を「失ったうえに、ど

うなるかはちょっとわからない」との事。

 それだけ書き方に踏み込んだ評論が展開されています。それも、故人ばかりなので、多分こう

いう意図があって、こういう書き方をしたのだろう、という推察で終わっています。まあ物故さ

れているから、遠慮しないで書けるということはあるでしょう。ご本人もそう述懐されていまし

た。

 

 川端康成『雪国』については、登場人物の設定が不自然に感じられる点。さらに、主要人物同

士が情交を交わしたのかという点が曖昧なこと。という佐藤さんご自身が納得いかない点につい

てと、反対に、川端康成が隠喩を多用しており、書く場面で言葉の取捨選択をかなり意識してし

ている、という褒めるべき点を挙げられていた。誤解のないように書いておくが、前者の不自然

な登場人物のプロフィールと登場人物同士のつながり、も、主要人物同士に情交があったかが不

明な点も、それはそれでいいのである。佐藤氏も、そう述懐されている。

 

 森鴎外の『雁』には、サバの味噌煮が出てくるということを長い間覚えていらしたというエピ

ソード。(ああ、難しい。ちょっと確かめ読みにも手間が要るので省略しますが)何故、サバの

味噌煮が出てくるシーンを三十年以上も覚えていらしたのか、というのが詳述されます。

 

 夏目漱石の小説には日本語の基本のフォームがある、ということ。また、主人公の名前にこだ

わるのに、敢えて固有名詞は使わない、という点。その理由。夏目漱石の文体が『こころ』の「先

生」という呼び名を要請した。(佐藤さんの見解と言うべきだろうが、私もそう思った)

 

 樋口一葉の作品は、雅俗折衷体(がぞくせっちゅうたい)で書かれている。読点だけで句点が

少なく、尚かつ動詞で書き出しが始まっているので、自然に持っていかれる(読み手の目を)引

っぱられる、しかもスピードが速い読まされ方をする(まるでジェットコースターに乗っている

よう、と比喩されている)点。

 

 田山花袋と夏目漱石にあったであろうと思われる底意地を張った、文体へのそれぞれのこだわ

り。それから来る確執。(ここの処は実はどうなのかは私には分からないのですが…)

 

 ともかく、何故、熟語を多用するのか。何故、直喩表現を多発するのか。なぜ、敢えて平仮名

を多用するのか。何故、時間軸どおりに書かないのか。という、それぞれの作家のこだわりを佐

藤さんが、検証、推論される本です。その方法が間違いかどうかとは言及されていません。却っ

て、その方法をとる事によって、こういう効果が出ている、という事を指摘されています。

 すっかり、ただの本の紹介になってしまいました。

 感想としては、やはり大御所は、一字一字意識しながら書いているなぁ、と痛感したことでした。

 では、また。

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