佐伯は精神科へ通うようになった。
石島の死体を見た他の者にもショックはあった。
だが佐伯が一番重傷だった。
挨拶まわりが終わって普段の業務に戻った。相変わらず、自分を忙しいように見せ
かけてしまう仕事のやり方だった。
或る日、佐伯は部下の業務上の相談を受けていて、突然、ゴミ箱を蹴った。ころが
ったゴミ箱を追いかけてさらに蹴りつづけた。
御手洗らに抑えられて事なきを得た。
翌日、人事部から辞令が下りた。
三ヶ月の休職命令だった。
佐伯は、自分がどうなっているのか分からなかった。
「実家に戻って、しばらく休んでこい」
御手洗にそう言われた。
部下たちは妙によそよそしかった。
誰にも見送られず、佐伯は社を後にした。
仕事をしないと都会にいるのは息苦しかった。
結局、佐伯は実家に帰った。
実家へは精神科医から病状を伝える電話があった。
都落ちだと思うと情けなかった。
中江市は人口六万人の田舎だ。織物産業が昔は盛んであったが、今は機織り工場も
撚糸工場も染工場も少なくなっていた。独自の織り柄や糸にこだわって新興国へは教
えないオリジナリティーある製品を織る会社が生き延びていた。市には代わって電子
部品メーカーなどの工場がいくつか建ち、大半の者はそこへ勤めていた。
父、母は穏やかだった。
その穏やかさは、自分の精神の病状を思ってのことかもしれない、と佐伯は思った。
染工場に勤める弟、隆が七時頃帰宅し、久し振りに家族四人で食卓を囲んだ。
五月になっていた。
すき焼きを食すと汗ばんだ。
今年三十六になる隆も、所帯を持っていない。少子高齢化を促進させているのがお
れたちのような兄弟かもしれないと文男も思うのだが、縁のないものは仕方ない。文
男の方は、もう結婚を諦めている。
文男にも隆にも二十代に二回、恋愛があったが結局、結婚までには至らなかった。
男二人の兄弟で、どちらも結婚しないと家が廃れてしまう、と、文男はここ数年そ
れを思うのだった。
「兄さん、当分の間、ゆっくりしたらいいよ。この田舎でなら兄さんを支えることも
できる。疲れてるんだよ、兄さんは」
父は染工場に四十年勤めたので、父母は父の厚生年金でやっていっている。年間に
四百万ほどだ。
弟の隆は、今兄さんは疲れているのだから精神的な休養をしたらいい、リハビリの
意味で中江市のさらに奥のW郡の農家に知り合いが居るから、そこで農作業を手伝っ
てみないか、と言った。寝泊まりしてもらってもよいという話しになっていると言う。
実家からの眺めは心を穏やかにした。
官公庁街の山の麓にある実家からは小さな丘の公園の水銀灯に浮きだされた緑と時
計塔の時計の黒い針が見える。雨のなかに郭公の声も聞こえる。
大阪の人工の物ばかりに囲まれた喧噪が嘘のようだった。