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『1995年』ーーー3

 社に着き、六階に戻った。

 誰も居ない。

 ガラスの衝立を隔てた機関誌編集部にも、その隣りの企画部にも人の姿がない。

 デスクに戻り、御手洗部長のデスクの斜め後ろのスケジュールボードに目をやると、

午後の欄に“八階ホール全体会議”と赤マジックで書かれているのを見つけた。

 佐伯は、石島たちもこれを見て同じく動くだろうと考えて、ジャンパーを脱ぎ、ス

ーツの内ポケットの手帳を確かめてエレベーターに向かった。

 八階ホールは、既に社員で溢れていた。守口の工場からもオペレーターや作業人を

残して工場長や副工場長が来ているに違いない。

 丁度、会長の話しが終わったところらしかった。会長が壇の後ろの椅子に戻ると、

代わって社長の権藤が演壇に立ち話しはじめた。

「社員諸君。神戸が酷いことになってしもとる。未だ正確な被害状況は判らんが、豊

中もやられたらしい」

 佐伯は生唾を飲んだ。

「アイメックスとしては、出来るだけ救援に動こうと思う。ウチの工場、今の処はま

わしているが、一時間後に止める。従業員全体で神戸に人道的援助に動いたってくれ。

……給料は出せる限りは出すーーー」

 権藤はいつでも要点から話す。今年四十八の権藤は実に磊落な人物だ。

「社長! 今は給料の心配なんかせんとって。人を救けんのは当たり前や」

 商品開発部二課の田之上がそう呼応した。

 そうだ、そうやよ、と賛同の声が重なった。

 御手洗と目が合って手招きされ、佐伯は演壇の脇まで進んだ。

 社長の権藤が皆に向けて話す。

「今、開発部、一課、課長の佐伯が現地を見て帰ってきました。報告してもらいます」

 佐伯は壇に立ち、

「皆さん、気をしっかり保って聞いて下さい。山崎工業は壊滅です」

 どやどやと呟きの重奏と唸り声が起こる。

「中央区までしか行けませんでした。燃料の都合で。だから、丸菱工業の方は何とも

言えません。しかし、尼崎も西宮も酷い状態でした。瓦礫の山です。……」

 エレベーターホールから石島が堂門を連れてはいってくるのが見えた。

「皆さん! 堂門部長は無事でした。こちらへお呼びしました!」

 と言って佐伯が左手の平で示すと、会場の全員が疲れを顔に浮かばせた堂門の姿を

見つけて割れんばかりの拍手が起こった。

 石島の介助の手を離れて、堂門が演台のまえに立った。

「アイメックスの皆さん。私は、この通り無事でした」

 粉塵を被ったままのスーツの肩を演台についた両手によって怒らせて堂門はつづけ

る。「ただ、神戸の街は酷い有り様です。皆さん、どうか、神戸を救けてやって下さ

い。……今はアイメックスさんの製品を加工することができません。その点、ご迷惑

をおかけする事をお許し下さい。私は、……私は……」

 堂門は演台に凭れるように崩れうずくまった。

 慌てて、石島と佐伯がかけ寄っていく。

 堂門は詰まった息を出すように、ぷしっと発声すると仰向けに昏倒した。口の周り

に泡がついている。

「救急車を呼んで下さい!」

 佐伯が声を挙げる。

「部長! 部長!」

 佐伯と石島と他の部の社員一人が堂門を静かに引っぱって壇の端に横たえる。石島

が堂門のベルトを緩め、佐伯が首まわりを緩めて枕代わりに座布団を堂門の頭の下に

あてがう。

 社長の権藤が演台に立った。

「指示を出す。開発部、誌編集、企画部は、水と食料の買い出し! 流通・配送部、

営繕課は社の車を輸送用として準備! 広告・宣伝、人事、事務、は、輸送ルートと

神戸の現状把握! 他の部は、否、全ての部で、今、何が出来るか考えて、案が出た

ら逐一、俺に報告してくれ! 解散!」

 権藤の話しが終わるのとほぼ同時に救急車のサイレンが明確になって聞こえてき

た。

 佐伯の上体のなかで目を開けたまま、堂門は口を動かそうとしていた。

「堂門部長、大丈夫ですから。今はご自分のことだけ考えてください」

 家族は大丈夫だ、と本当は言いたい佐伯だった。しかし、権藤の話しでは豊中にも

被害が出たという。

 佐伯文男は奥歯を噛みしめた。

(なぜ、地震なんだ……なぜ、神戸なんだ……)

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