林恭弘(はやし やすひろ)さんの、『図解ビジネス心理学1モチベーション(やる気を引き出す20のポイント)』を読みました。
図解ビジネス心理学 1 モチベーション やる気を引き出す20のポイント (通勤大学文庫)
- 作者: 林 恭弘
- 出版社/メーカー: 総合法令出版
- 発売日: 2005/11/25
- メディア: 文庫
例によって、感想は追記をお待ちください。
追記・感想
この本で扱うモチベーション
モチベーションというとき、動機づけの要素を言うこともあれば、やる気そのもののことを指すこともあると思う。
この本では、「貴方はなぜ働いていますか」という問いに代表されるように、仕事に対してのモチベーションを扱っている。
全編を読んだ感想としては、「こんなことぐらい既に知っていますよ」という程度のものだった。まあ、それでも、周知のことでも体系だてて再認識するために読むのにはよい本と思われる。
以下に本編を紹介する。
導入部(なぜ働くか)(働くモチベーション)
人間は、世間体のために働く
・「食べるためだけ」に働いているのではない、の項では、日本は今や、職を失ってもホームレスになってもコンビニから排出される残飯で充分なカロリーをとることが出来るのだ、と。
コンビニから廃棄される残飯を食べていれば、逆に糖尿病になる危険があるそうで、ホームレスにも今や、「ヘルシー&ダイエット」が重要な課題のようだ。
そういう意味で、仕事とは食べるためのものではなく、いかに達成感を味わうかの方が重要になってきている。【下欄の紹介内容とも重複するのだが、「食べるための仕事」と他人に向けて言うとき、そのニュアンスには、世間体を気にしなくて済む衣食住を確保するため、というのが正確な心情と言えるだろう。ボロボロの服を着るのではなくこ益しな服を着れて、雨風を凌げる上に、世間のランクとして最下層ではない住宅に住んで、自家用車を所有し、コンビニの残飯ではない食物を食べて、ときには外食も出来る、という、そのぐらいの暮らしを確保することが、意味として、「食べるために仕事をしている」というときの「食べられる」という意味に匹敵する。
つまり、本当に「食べるため」に仕事をするのではなく、世間に馬鹿にされないレベルの暮らしを維持するために働く、ということのようだ。言い換えれば、「食べるため」だけが働く目的の人は、世間体のためだけに働いていることになる。】
・「そこそこ人並みで」というあきらめ、の項では、食っていくための仕事というのが、食っていくためではなく、世間体を気にせず生活できる最低限のものを満たしている状態を維持する、ということが、現代の人間が仕事をする動機になっていると云える、と仰有る。
しかし、それは前向きな動機とは程遠いとも。
フロー状態が、モチベーションの一つの要因
・情動的アプローチ、の項では、人間には、「わかっちゃいるけどやめられない」ということがあり、動機づけを、期待や価値、または目標などの認知変数だけで説明するには限界がある、と仰有る。
そこで重要なのが、「情動論的アプローチ」の代表的理論の「フロー理論」。
何かに没頭しているときの独特の心理状態を「フロー」と言う。
フローとは、「自然に気分が集中し、努力感を伴わずに活動に没頭できる状態」であり、「活動はなめらかに進行して効率的で、かつ当人の能力を伸ばす方向に向けて行為が発展していくような心理状態」。【本文引用】
このフロー体験が情動を動かしやる気にもつながってゆく。
仕事とやる気
コラム『仕事とやる気』から、人間は社会的存在、の項。
人間は目に見える存在としては、肉体だけであり、それ以外は意識である、と。
“自分という意識”は、他者とのかかわりを通じてはじめて明らかになってくる。
社会的存在である人間は、他者からの評価やフィードバックを受けることによってはじめて、自分の仕事と能力に手ごたえを感じることができる。
そして、ますますよりよくなっていく自分を未来に期待することが可能になって、はじめてやる気をあげることができる。【一部本文引用】
そのなかでも「金銭によるフィードバック」が仕事と組織への貢献度がダイレクトにわかるから重要だと思いがちだが、もちろん、それは重要だが、家電や車などの生活財が、関心ごとの優先であるときには最大の効果を発揮するが、一そろえしてしまうとやる気の優先順位からは落ちてしまう。心理学では、すでに証明済み。
それとは別の動機が、社会的立場を得ることのようである。
名刺での肩書きや、専業主婦なら、旦那さんからの料理への評価ということもある。
読者には、この辺で説明するが、私は本編の印象に残ったところだけをピックアップして紹介している。
第一印象でコミュニケーション力は、ほぼ決まる
・声と態度でよい印象をつくる[人間関係要因]の項。
性格の良さやコミュニケーション能力が高いことが、とかく重要視されがちだが、それは深い人間関係を築く場合のこと、まずとっかかりは、「印象」がすべてを決めている。
幼稚園の先生を対象に実施された実験では、「キレイな服を着ていて、笑顔で話す子供」への評価と、「汚れた服を着ていて、笑顔の少ない子供」への評価が、性格や能力までも「キレイな服を着ていて、笑顔で話す子供」のほうが高いことがわかった。
イラストでも紹介されているが、「キレイな服を着ていて、笑顔で話す子供」のほうに、能力が高いという思いこみで見てしまう傾向があるようである。
「メーラビアンの法則」によれば、人の受ける印象は、55パーセントが「態度」、38パーセントが「声」、残り7パーセントが「話す内容」だと、引き合いに出される。
コミュニケーション力の高い人は、「目に見えるもの」(態度)と「耳で聞こえるもの」(声)によってほとんど印象操作しているということになる。【一部本文引用】
そして、この項、さらに言えば、本書全体のなかで私の印象に残ったところなのだが、それが、この項にある。
【そして、印象のよい人は批判されにくいので、結果的には高く評価されたり、協力者が出てきたりするものです。】
という一文だ。
印象のよい人は、気分がわるくなることもなく、他人から評価されることによって自己肯定感を得て、さらに自発的にやる気を起こせるような環境に自然に居るのだ、ということです。
ここは、大きな違いだと思った。
評価を得るには、小さな仕事から
・小さな仕事を大切にする[評価・承認要因]の項。
周囲の人たちから期待され、認められることは、モチベーションにとってたいへん大きな原動力となる。
期待されるということは、信頼される、ということ。
その信頼されるためには、「たとえ簡単な仕事でも、まかされた仕事を丁寧に仕上げて、まかせてくれた人にしっかり報告すること。
トップセールスの人たちは、日ごろ面倒くさくても、顧客からの小さな依頼にコツコツと応え、やがて大きな受注を生む。
責任を引き受ける仕事を積極的にするべき
・責任を引き受ける仕事をする[コントロール要因]の項では、自分は仕事をコントロールできている、と思える状況になることが重要だと。
この自己決定感を持つためには、自分から積極的に考え、上司や周囲の人にそのアイデアが受け入れられるように働きかけることが重要、と仰有る。そういう行動にはエネルギーが要るが、是非ともすべきだと。
ひとつでもいいから、ナンバーワンになれ!
・いままでの仕事に情報をプラスする[自己表現要因]。
ひとつでもいいので、誰にも負けないナンバーワンになることが「自己表現」を高めるキーになる。たとえば、この本のなかでは、著者の主催する『日本メンタルヘルス協会』のセミナーに出ておられたセールス・パーソンが、セミナーで学んだカウンセリングの知識と技法を商談のときに偶然にも発揮されている。その結果、大きな契約やたくさんの顧客に恵まれることになった。
セールストークとは言えない一種カウンセリングのような相談に乗ってあげているような雰囲気から顧客が自ら話してくれるようになり、それがセールスの成果にも結果的に結びついた、というような事例を挙げられる。
まとめ 感想
最後にまとめ的な話になるが、この本でも76ページに紹介されている人間の欲求のピラミッドの表が、モチベーションを持とうとするときに、どういうアプローチをしたらよいのかを考える材料になるだろう。
人間の欲求には、下層から順に、「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛情の欲求」「自尊の欲求」「自己実現の欲求」とある。
全体の感想としては、やはり人間は他者とかかわるから人間なのだ、ということを思った。
たとえ、孤独な環境に身を置いていても、それでも少なからず他者とかかわっている、それが人間であり、他者とかかわることが生き甲斐を触発している、と言える。
面白いところでは、64ページに「コントロール要因」という項を立てて論旨が展開されるのだが、いかに、自分で仕事のやり方や方向性を考え、自由に進めていけるか、というのがモチベーションの維持に関係してくる。心理学者ドシャームが提唱した、人をオリジン型かポーン型(丸か濁点か分かりにくいのでローマ字表記Porn)かに分類するという考え方を出される。「オリジン」とはチェスの指し手のことで、「ポーン」とは駒のことを指す。オリジン型は、自分の行動や振る舞いはどのようにでも自分でコントロールできると考えている。ポーン型は、すべてのことが外的なものにコントロールされていて自分はそれに従うしかないと考えている人のことを指す。
しかし、この考え方も首肯はするが、本人の環境要因にも因るところは大きいとも言える。何をしても失敗つづきの人には、成功を信じることができない。割り方何をしても上手くいっている人は、今度も大丈夫だろう、と考える。一概に、オリジン型とポーン型なる区分けが生来的に存在しているわけでもないように思える。
本編の紹介ばかりが多い、感想の少ない書評になったが、今回はこの辺で。