春日武彦さんの、『精神科医は腹の底で何を考えているか』を読みました。
例によって、感想は追記をお待ちください。
追記・感想
この本で春日氏がとくに強調されるのは、強制入院・措置入院に関して、一般の人々の
誤解を解きたい、ということだ。
あからさまな周囲、近隣に迷惑なことをしてしまっている精神病者の場合、それを誰か
がリークして措置入院に持っていくパターンもあるらしい。
包丁を取り出して、近隣の外で暴れる、とか、そういった程度の問題行動を起こしてい
ない限り措置入院には該当しないので、ご了解いただきたい、ということであった。
だが、統合失調症の病状の悪化した段階の患者に対しても、措置入院を勧められる。
しかし、こういった患者の場合、自身が病んでいるという自覚があるので、迎えに来た
車に乗せられてしまうと大人しくなるという。
考えてみれば、精神科を受診している段階で、自分では手に負えない状況に自身がある
ことが分かっているわけだ。精神科にお世話になりたい、と内心考えながら、いや、自分
は正常なんだ、という煩悶のなかで日々を過ごしている。
そういう患者を入院にまで説得するのだから、自然な流れ、であるとご自身語られてい
る。
しかし、読んでいて思ったのは、統合失調症が重篤になっている患者に対して説得して
入院させる場面もあるが、無理矢理、という感は否めない。この本のなかのケースでは自
傷他害の恐れがある状態とまでは思えない患者も入院にもっていっているからだ。
さらに、統合失調症を特別異例な病とする考え方が披見される。
それなのに、統合失調症の『考想伝播』が出ている状態の患者に、未だこの春日氏は接
したことがないように全編を読んで感じられる。単なる妄想(自分が秘密結社から命を狙わ
れている。といったような内容)だけではなく、実際に本人の超能力が出現して困っている状態
というのもあるわけだ。それを知らないなら、春日氏は、まだまだ経験不足である。
統合失調症が、社会的な成功には最早無理な病状として取り上げられているが、統合失
調症の病状のなかにも幾多の種類があり、一般のセンスをかけ離れた考え方を、すべての
統合失調症の患者がしているわけではない。
第四章、優しさと支配のなかの救急患者にどう対応するか、という項に関しての感想だ
が、医者としては、こういう緊急性のある精神障害の状態にある患者は入院させたいのだ
が、その手法として、全体的な触診をしましょう、と患者に促すと、血圧や心拍数を診て
くれるのだから安心して患者は従い、その後の鎮静剤の注射にも応じてくれる、と語って
いるが、これを読んで一番に理解できたのは、感情的になっている人に対して、直立より
は椅子に腰掛ける姿勢、さらには、横にならせたら、興奮の度合いが下がる、という人を
説得するときに営業マンが用いている手法とそっくりだ、と思ったことだ。
ともかく、「まあ、座れや、話は聞いてやるよ」と言って、相手を自分より目線が下の
位置の状態にしてしまうと随分楽に交渉が出来る。春日氏が、そんなことを踏まえた上で
行動されているのかは分からないが。
第6章、偽善と方便、の処方薬をどう考えるか、という項では、患者に隠して薬を盛る、
という方法ではなくて、事前開示で、患者にどう必要な治療なのかを教え、患者に了解し
てもらった上で服薬してもらうことが大事であるか、を述べられている。
第七章、幸福・平温・家族のステレオタイプな幸福の項では、一般的な成功を求めるの
を諦めた生き方であってもよいのではないか、ということを提案されている。健康で疚し
いところがなく、大きな社会的成功は治めないが、精神的に健全である、といった生き方
である。うつ病にしろ、とくに春日氏の仰有ることには一旦統合失調症に罹患してしまう
と一般のセンスにも欠けてくるので、サラリーマンとして一人前の企画書すら書けない状
態に、後の人生もずっとなってしまうので、それならば普通に生きられていること自体を
喜ぶ幸福感で満足することも大事なのではないか、と仰有る。
春日氏に対して言いたいことは、統合失調症は、人により色んな病状があって、センス
がわるくはなっていない人も居るということを付け加えておきたい。
また、全編を読むなかで、社会経験が少ない、ということをご自身で述懐される春日氏
だが、一人前の精神科医になるための道、それ以降の臨床の場の経験というのは積まれて
いるのだから別に卑下する必要はない。だが、接客業に一度も、バイトも含めて従事した
ことがない、というのは明らかに、ひと年占めている割には手落ちの肩書きである。
この本を今回読んで、強制入院の場合は、入院させられなければならない患者の、周り
に迷惑をかけている病状がある、ということが分かった。それだけでも、私にとっては進
歩だった。
さらに最後に追記しておくが、この本にしろ加藤諦三氏の本にしろ、読んでいると、著者
が完璧な意見を述べているように読者は誤解してしまう、ということがあるということを思っ
た点だ。
紙媒体で、たとえばフィクションででもストーリーが展開されていると、その背景にある既
成事実がもっとも自然なものであるように、読者は理解してしまうきらいがある、ということだ。
読者も自身で他の著作を読むなどして既成概念を崩さねばならない。
そうしないと、偏向した考えの著者にふりまわされてしまうこともあるだろう。
コメント
>ビター・スイートさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)