積ん読を、さげすむ風潮
買って、読まないで、本を重ねて放置しておく。
これを、積ん読(つんどく)というのですが、この行為に対して、読まないのなら意味がないでしょう、という批判が、最近多いのですが。
折角買ったのに、すぐに読まない。読まないと、インプットできないから勉強意欲がない、という批判です。
でもね、社会人生活してたら、本を読む時間なんて、そうそうないのです。
とりあえずは買っておいて、後から読めばいいじゃないですか。
積ん読でも、いいのですよ。
文学で、長編なんかは、時間がありあまっている大学生時代か、定年退職後にしか、じっくりと読む時間はありません。ドストエフスキー『罪と罰』とか『カラマーゾフの兄弟』とか、簡単に読了できませんよね。
すこしずつ読み進めるにしても、短時間で読了までは行きませんよね。
自己啓発本とか、新書は読了までが早いですが、それも、許された自由な時間を削っての読書ということになります。
そこで、気になった本は、とりあえず買ってきたらいいと思うのです。
買ってきて、手元にある、ということは、いざ、読む気になったら、すぐに読みはじめられる環境にある、ということです。
世界にある本を、全て読破することは無理なのですから、自分が興味を持った本を、「積ん読」しておいて、興味がさらに深まったときに、手に取ればいいのです。
それに、その作家の本を蒐集しておくことによって、その作家の作品群に対する愛着心が高まります。
世は、ミニマリストを推奨する時代。
でも、個体(紙の本)を持つことは、持っているという嬉しい感情につながります。
ただ、一番読む気(モチベーション)が上がっているのは、最初に手にした瞬間だ。
ただ、本に対する興味というのは、図書館で借りてくるにしろ、書店で買うにしろ、最初に手にした瞬間だ、ということを忘れないでほしい。
手にしたばかりの本は、ずっと本棚に置きっぱなしになっている本よりも、読めるスピードが速い。
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