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「自己肯定感の持ち方」他人と比べるな、という風潮がおかしい。

 近年の風潮、「そのままの自分を受け入れていればいい。競争すべきでない」という考えに首肯できない。

 そこで、持論を展開します。

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 自己肯定感には、二通りある

 自己肯定感が大事で、今の自分の欠点も長所も、それが自分なんだ、と認める。

 その考えは、合っています。

 自分を卑下したら、劣等感にさいなまれるだけですから。

 しかし、「他人と比べるのでなしに、過去の自分と比べて成長していたらいい」という考え方には、全肯定はできません。

 競争して勝つことにこそ、人生の醍醐味がある

 人間、勝たないと意味ないでしょう。

 それも、会社や工場で単純労働のスピードが、他人と比べて速い・遅いということなどで、負けたからといって劣等感を持つ必要はないんです。

 単純労働なんて、ロボットでもしますからね。

 男の人にとくに言いたいのですが、他人から尊敬されたい、とは思いませんか。

 歴史に名を残すような偉い人になりたい、とは思いませんか。

 普通でいい、生活できていればいい、と考えるのは、精神的にスポイルされてると思うのですよ。

 実績を積み上げて、他人に勝たないと。

 「あの人に負けて悔しい」という感情は、自分が成長するためには必要な感情です。

 嫉妬(ねたみ)はいけません。「ああ成りたい」と羨ましがることは大事です。

 自分からマウントをとるのは、自分に自信がない証拠

 だからといって、初対面の人に、おれのほうが優れているなどとマウントをとるのは良くない。

 結果を出した人は、世間から評価されるから、いちいちマウントをとる必要はない。

 一般の人より実績で頭1つ抜けて、優越感に浸らないと。

 客観的に優れているなら、内心で優越感を持つことは悪いことではない

 それがね、優越感に浸ること自体も間違いだ、という風潮もあるのですよ。

 客観的に勝っている場合は、いくら優越感に浸ってもわるいとは思いませんが。

 人生、勝つために生きているのです。

 競争意識がないと、高みを目指す原動力が減る

 それなりに生きてゆければいい、というのは、動物と同じような気がします。

 精神障害や身体障害があってもいいんです。

 その障害が作用しない分野で勝てばいいのです。

 自己の存在を肯定することは必要です。高みに到達できなくても。

 ですが、「負けた。悔しい」、「自分はまだ完全な自己肯定はできない」と思うことが次のステップです。

 10年、あるいは20年かけて努力してきて、実績をつくる。

 そうなれば、揺るぎない自己肯定感を持てるでしょう。


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