森村誠一さんの、『60歳で小説家になる』を読みました。
例によって、感想は、追記をお待ちください。
追記・感想
本編の文字が大きい。
老眼になっている年代を、読者として意識して、文字を大きくしたのだろう。
定年退職してから、死ぬまでの期間が、医療の進歩とともに長くなっている。
60すぎでも、まだ働けるのに、一線からは退くように促される。また、そうでないと、
若い人の仕事がなくなる、ということもある。
人生経験豊富だからこそ、小説家になろう、と。
若いときに受賞して小説家になったような人だと、仕事の実際を描けない。小説に登場
人物の仕事として登場させる仕事も、教師や作家や病人などと幅が狭い。定年まで仕事を
してきた人こそ、それぞれの体験したリアルな仕事の様子を描くことが出来るのだ、と。
自叙伝は、または、自叙伝的な小説は、死期が近づいてきてから、一作書けば充分であ
る、と仰有る。
ミステリーの創作方法については、詳しく書かれていた。
力作が受賞を逃した場合、選考委員を内心で馬鹿にすればよい、と仰有る。
新人デビューできるか否か、は、執念を持ちつづけるかどうか。
作品のエッセンスは、ICレコーダーやデジカメで記録したものを使うことが多いらし
い。私も、見た夢の記憶をノートに書いたりするが、森村氏と同様、書いてるそばから流
出してしまう。記録するのが間に合わない、ということがある。ICレコーダーに肉声で
吹き込む、という方法が一番硬いと思える。
やはり森村氏は、ミステリーの書き手なので、純文学よりエンターテイメントのほうが
格式が高いし、創作が難しいしレベルが高い、という意識を持っていらっしゃる。純文学
の作家に聞くと反対の答えが返ってくるだろう。
仕事を離れ、組織に属さなくなってからもつづけられる、一人でも出来る意味のある仕
事が小説家なのだ、という結論だった。
私の感想としては、新人賞を受賞するのが簡単ではないから、こういうふうに万人に小
説家になるように促しても、無理があるなぁと思えた。なれない人のほうが圧倒的に多い
のだから。
普段自室に居ても、きちんと服を着て引きしまった気持ちを持つことが大事である、と
か、女性と会話する機会を持つことが、創作意欲を維持させるためにも必要である、など
という意見には首肯した。
いずれにしても、小説を書く生活というのが、孤独になりがちな老人にとっても健康を
維持する一つの方法であることは間違いないと言える。