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甲斐バンドは、おれの青春そのもの

 高校へ進学し、バスケットボールを断念し、

友人に誘われ、バンドを結成したとき。

 コピーする課題の曲は、すべて『甲斐バンド』の曲でした。

 もともと友人Kが言い出して結成したバンドです。

 高校の下駄箱置き場で、Kは、僕に、甲斐バンドの曲のはいったテープを渡したのでした。

 その当時の『甲斐バンド』は、『裏切りの街角』以前の楽曲をやっていました。

 甲斐氏の声にも、女性に甘えるような響きを持つ部分もあったのです。

 甲斐バンドの魅力のひとつは、チョーキングで泣くギター。

 僕とKは、メンバー集めをやりました。

 真面目で、フォークの弾けるOくん。

 甘いマスクの美男のJくん。

 二人とも、Kくんと同じ卓球部所属。

 そこへ、

「君には、裏方で頑張ってほしいねや」

 と、音楽性の成熟を認められた僕、と、

同じく音楽性の完成度を認められたLくん。

 大半のメンバーが卓球部という構成。

 実は、Kくんの、卓球部グルーピーたちから黄色い声援をもらう、という意図があったことに、

僕とLくんは、あとで気づきます。

 1年生の終わりに、Lくんが、生徒会役員の立場を利用して、

音楽祭なるものを企画。

 翌2年の春に、音楽祭は実現します。

 やった曲は、二曲のみ。

 甲斐バンド『氷のくちびる』、甲斐バンド『翼あるもの』。

 それから秋までは、ひたすら練習に明け暮れました。

 学校の近所の寺に交渉して、放課後、寺で練習。

 当時、イケテル奴らは、洋楽のディープパープルなんかをやってました。

 僕らは、ひたすら『甲斐バンド』。

 ところが、夏休みの終わるころ、ギターのOくんが、家出。

 急遽新メンバーのPくんを参加させて、練習はつづきました。

 そして、文化祭間近のころ、今度は、僕の怪我。

 文化祭でのステージは、泡と消えました。

 当時、練習していたのは、『きんぽうげ』『ポップコーンをほおばって』『最後の夜汽車』『LADY』などです。

 それから、社会人になっても、『甲斐バンド』は、聴きつづけました。

 最初に肉体関係を持った彼女と、別れなければならなくなったとき、

彼女は、こう言いました。

「シネマ・クラブが、耳元で鳴ってる」

 と。

 その後、甲斐バンドは解散し、甲斐さんがソロで活動し、

また、KAI FIVEなども立ち上げられて、

『風のなかの火のように』も、僕の印象に残っています。

 僕の青春は、甲斐バンドと連動していました。

 甲斐よしひろ氏を、ときどき目にするとき、

僕は、思います。

 まさに、僕のお兄さん、だと。

 甲斐氏とは、ちょうど10年、歳が離れているのですよ。

 その甲斐氏が、いまだにエネルギッシュに、ロックを歌われている。

 自分の背筋も伸びます。

 そして、何よりも、甲斐氏に対して尊敬するところは、

ミュージシャンも会社員も、どちらも社会人だというスタンスです。

 甲斐氏は、コンサートで、ドタキャンされたことは一度もありません。

 筋金入りのプロ意識です。

コメント

  1. 山雨 乃兎 より:

    >そうじろうさん
    ナイスを有り難うございます。(^。^)

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