障害者に対して、個別の病状を聞きもしないで、「どうして働かないんですか」と言う人がいる。
障害者でも、働ける状態の人と働けない状態の人がいる。
貧乏な人に対して、「貴方の努力が足りないからですよ」と言うのは簡単だが。
幸福かどうかは、遺伝的な要素も環境の要素も大きく関係している。
さいきんでは、「努力できるかどうか」も、遺伝子と関係がある、と言われている。
生活が可も無く不可も無く、それなりに上手くいっていて、会社で役職にもついている人が、他人を見下す言動をするのは可笑しい。
人間の幸不幸で言えば、まず、日本に生まれたのが幸せなのではないか。
途上国で生まれていれば、幼少の頃から過酷な労働を課せられていたかもしれない。
貴方が、そこそこに上手くいっているのは、重なる偶然がすべて良い方向に動いたからだ。
幼児のころ、感染症に罹って死んでいた可能性もあった。
小学生のころ、酷い虐めに遭って自殺していたかもしれない。だが、貴方は、そこまで酷いイジメには遭わなかった。
勉強ができたから、いい高校・大学へと進めた。しかし、それは、授業中に騒がない真面目な生徒たちだけの環境だったから先生の話がスイスイと頭に入ってきたことかもしれないし、塾や家庭教師に恵まれたからかもしれない。そして、大学まで進学できたのは、親の援助があったからだ。貧しい家庭に生まれていれば、大学へは行けなかったかもしれない。
適齢期に伴侶を得られたのも、偶然の要素の上に成り立っている。
貴方が、遺伝子的に、美しくない顔に生まれついていれば、結婚はなかったかもしれない。あるいは、学歴がそこそこ無ければ。収入もある程度は無ければ。そして、身体障害や精神障害が有ったらどうだろう。すんなり結婚できていただろうか。
まだ、ある。
貴方が車を運転して、もし、人身事故で相手を死なせていれば、もう、今のようなそこそこの暮らしなどしていないだろう。
努力したから今が有る。
それは当然のことだが。
幸せに至るまでに、いくつもの偶然の要素を回避してきている、ということを忘れてはならない。
弱者や、社会的に上手く行っていない人をみるとき、その人の見かけだけでマウントをとったり人格否定してはいけない。
相手の人生を想像する、という意識を持っていれば、温かいコミュニケーションができる。
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