今回の講演は、井波律子さんでした。
井波さん、実は僕の本名と音が同じなので、司会者に紹介される度に、こちらも少し緊張しました。
御本も紹介しておきます。
演題、『中国古典小説の世界』
副題に、怪異譚を中心に、とあります。
ハクア(ちょっと漢字が分からないのですが)と呼ばれる話し言葉で書かれた作品は、古来からある『三国志』など。それに対して、志怪と呼ばれる地の文がある文芸小説。こちらに、怪異譚はあるそうです。
中国の古典は、皆、官僚(この場合、漢字が違うのかもですが、間違ってたらお許しください)が書いていたそうです。そして、官僚には、大昔は、貴族が成っていた。そして、唐の終わりに貴族が絶滅して、絶滅の前から科挙という試験が行われるようになり(官僚になる試験)、貴族絶滅後は、科挙に合格した者が官僚になった。
六朝志怪と唐代伝奇の時代は、幽霊や化け物を怖いものとせず、人間と幽霊が共存していくお話しが書かれた。宋元、明代、清代は、人間の世界に亡霊が侵入してくる、幽霊と人間は共存出来ないという立場の作品が書かれたのだそうです。
六朝志怪の『搜神記(そうしんき)』は、虚構ではなく、あくまでも「不思議な事実」の記録として書かれている。
唐代伝奇の「任志伝(じんしでん)」「離魂記(りこんき)」は、虚構の小説であることを意識して書かれている。
すなわち、フィクションとして書く小説スタイルと、事実の記録(ノンフィクションと言うべきか)として物語を書くスタイルがあった。
唐代の時代には、行巻(自分の作品を巻物にした物)を有力者に届けると、力のある作品と見なされれば、有力者が科挙に推薦してくれたらしい。(多分、科挙の試験が楽になるか、無試験で官僚になる道が拓けるのか、詳しく聞いてなかったのでわかりませんが)
清代の蒲松齢(ほしょうれい)という人などは、苦難の人生だったようで、地方の科挙試験(中央区の)には合格したんですが、全国の科挙にはなかなか合格しなかった。生計が立たないので、塾の教師などをしていた。40歳から「ヒツ」という家の家庭教師をやり、「ヒツ」の家が裕福だったのでやっと生活が安定した。70歳まで、その家の家庭教師をやりながら科挙の試験を受け続けるが死ぬまで合格しなかったそうです。
色んな妖怪や幽霊の話しがありますね。
灯りの下では私を見ないでください、という条件で結婚した女は、禁を破って蝋燭の下で覗いてみると、上半身は生身の人間だったが、下半身は白骨だった。実は、ゾンビだった。白骨から徐々に人間の姿に戻りつつあったのに、貴方は約束を破ったのですね、と言って墓に戻っていくお話しとか。
狐の化身(女性)に恋をして、狐と分かった上で結婚生活を送ったが、或るとき、彼女は犬に追いかけられて、犬にかみ殺されてしまったお話し。
先に述べた科挙の推薦の方法に、巻物にした作品を有力者に届けるということがあって、科挙試験自体が大変難しかったので、このいわゆる投稿の方に人気が集まり、出来るだけ自分の作品を目に留めてもらおうという魂胆から、奇想天外なお話しが多くなっていったとの事です。
大して総括になっていませんが、僕に纏められるのはこの位です。
では、また。
コメント
>夕月琥珀さん
ナイスをありがとうございます。