石持浅海さんの、『人柱はミイラと出会う』を読みました。
日本の風習自体をフィクションとして、現実に変わった習慣があるものとして設定されています。
私、初めの内は、本当に、この本の中に書かれている(例えば大きな建造物の工事のとき、人柱と言われる人が、地下の狭い一室に籠もって建造物完成までの間、神さまに人質という形で生活する)というのが、現実なのか、等と思ってしまいました。フィクションも、ここまで塗り込められて精巧に作られると騙されますね。(昔は、人が地鎮祭のとき、神に捧げる意味で本当に犠牲となった、という事は有るそうですが、それを、現代は、工事期間中、窓一つない狭い部屋で暮らす、という風に設定されてるんです。半年とか二年とかです)
七編からなる短編集で、それぞれ、人柱、黒衣(くろご)、お歯黒、厄年、鷹匠、ミョウガ、参勤交代、をテーマに、それぞれを嘘の設定で本当らしく書いてあります。
嘘だと初めから見抜ける人は、これはパロディー(パロディーという括りも違っているかもですが)として面白い、と弾けるように笑って読めるし、現実のしきたりだと思った人は周りの人に色々尋ねてみて、ああ、作者にしてやられた、と成る訳です。
私は建築の知識など皆無に近いですから、人柱の例の嘘の設定には騙されました。お歯黒の話し辺りから、ああ、無茶な嘘と思いかけて、人にも訊いてまわる内に、全作、日本の風習の設定が嘘であると判りました。(ミョウガの話しには、特に嘘はなかったですが。ひょっとすると、それも見抜けていないだけかも知れません)
必ず前半すぐで事件が起きて、その謎を解きながら、大骨の設定は嘘で、それが本当らしく描かれる。
流石は、エンターテインメント、と思いました。
コメント
>xml_xslさん
いつも、ナイスを有り難うございます。