宅間紘一さんの、『文庫で名作再読』を読みました。
例によって、追記記事まで、感想はお待ちください。
タイトルの前文に「『走れメロス』から『カラーマーゾフの兄弟』まで」とある。 『カラマーゾフの兄弟』が、人間とは何か、をテーマとして多くのテーマを含む文学の傑作だと、宅間さんは絶賛されている。
この本に紹介されている作品のうち、自分は何冊読んだだろうか、と数えてみた。39作中、9作だった。
「本が読者を選ぶということもある」という宅間さんの意見が印象的だった。
なかなか読み進められない作品がある。忍耐して、その作品を読み進めると、今度はその作品の味が分かり、読むのをやめられなくなる。例えば、一般的な倫理観からかけ離れた主人公の行動があると、読者の中には、嫌悪感をもって読むのをやめる人が(場合が)ある。教科書でないだけに、とっつきにくい内容だったとしても、反面教師的なシナリオだったとしても、最後まで読むと隠されたテーマに気づくと仰有る。
全編を項目分けして、「信じるということ」「恋のはじまり」「愛の深淵」「反逆する人間」「人間の尊厳」「天と地をつなぐもの」「人間とは何か」と表し、それぞれに作品を挙げて見解を述べておられる。
やはり、小説というのは、人間に焦点を当てるものであることには間違いがない。
信、不信の問題。(無条件に人間を信じることが美徳なのか。しかし、裏切られても人を信じようとする姿勢に変わりない登場人物を描くことによって、問題を迫る) 恋のはじまり。(実直で押しの弱い主人公が、恋を成就させられない、という、はがゆい恋愛)
恋愛には結晶作用があるという。恋心を抱いた初期を妊娠に、両思いになれた時点を出産に喩えている。(恋の結晶作用というのは、宅間さんが初めて言われたことではないが。)(妊娠、出産の喩えが、本文と一致していないかも知れません。詳しくは本編を読んでみてください)
異邦人のテーマは、実存主義。当時のキリスト教の倫理観に沿って生きなければ非常識な人間と世間に決めつけられるという枠とは無関係に個として生きてゆこうとする主人公。かと言って、冷血でもなく、普通に人ともかかわって生きていた。
友人が女と手を切るために、ムルソーは恋文を代筆してやる。友人は、女をおびきだしておいて、酷い暴力を与え、愛想をつかさせて離縁に成功する。女の兄が、このことを放っておけなくて、アラビア人数人にムルソー達につきまとわせる。それで、斬りかかってきたアラビア人に対して、ムルソーがピストルを発射するのですが、弾丸の数が正当防衛の域を超えているという点を裁判では検事につめよられて死刑になってしまうのです。
この裁判が、被告に不利にどんどん展開していく。
事件の直前に出ていた実母の葬儀で涙を見せなかったことも、人間らしい感情を持っていない、と糾弾されてしまうのです。
主人公が、法廷で「太陽のせいだ」と言ったのが、よくとりあげられますが、実は脈絡なく発砲したのではない。法廷で、自分の立場を弁護するのを厄介に感じている訳です。陪審員の気持ちに訴えて(「信仰告白」をするというのも含めて)自分の実像でない姿を拵えてまで無罪になりたくもない、という心境です。何者にも媚びない社会システムとは関係なく自分で考えて行動する、という、当時ではタブーな姿勢です。
嘆異抄は、親鸞の教えが次第に曲解されて世に広まっていることを嘆く意味から、弟子の唯円が書いたものだそうです。
有名な言葉、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」というのが有ります。 善人は、仏に頼らなくても善を行うことができる人、或いは、そう思い込んでいる人です。こういう人は、信仰にすがろうとは思いません。つまり、仏の救いからは自分から撥ね付けて寄りつかない。そういう人をも仏は極楽に導くのだから、悪人は、尚更、救われやすい。という意味だそうです。
悪人は、なかなか自分でわかっていても悪から足を洗えない。自分はどうしようもない人間だと自覚しています。自分を克己するのが弱いから、仏への信仰で善に導いてもらおうと、救いの世界に入っていく。そういう絶対他力を、その通りだと受け容れられる、ということです。
『カラマーゾフの兄弟』をはじめドストエフスキーの作品は、テーマとして「神は本当にいるのか」という事です。
ここで、テーマは人間対人間や人間対社会という横軸から、人間と神、人間と宇宙になります。
僕は、まだ、『罪と罰』しか読んでいません。
ドストエフスキーは、キリストを信じていたでしょう。ですが、僕から見ると、ずっと疑いながらの信仰のように思えます。
遠藤周作さんの『イエスの生涯』『キリストの誕生』も紹介されていましたが、これも、無力な「苦しんでいる人間に寄り添うこと以外、何もできないイエス」を描かれているというし、イエスの復活後、弟子たちが勇敢な者に変わったことも遠藤さん分からないまま書かれているように、紹介文からは感じられました。
信仰の領域にまでいくと、文学では表しにくいし、実際確固たる信仰(特にキリスト教の)を持った著者が少なかったのだと思います。
そんな中で、内村鑑三さんの講話を纏めた『後世への最大遺物』は、紹介だけ読んでも、エネルギッシュでした。
少し話しが脱線しましたが、名作とは、何年も読み継がれてきたもの。
読者を選ぶことはあっても、再読に耐える深いテーマを持ったものだと思いました。
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