【この記事は、私の個人的な考え方にすぎません。よって、教導的に一般の方の人生を、こうあるべきだ、と断言しているものではありません。ご理解ください。】
出会いも少ないし、昔のように、仲人やお見合いの世話をする人も減っているし、ということで、恋愛の苦手な人には、斡旋会社などによる婚活がブームになっているが。
30も過ぎて、もしくは40も過ぎて、結婚に憧れをもっているのも、ずれているような気がする。
昔よく言われた言葉だが、「結婚は墓場だ」という言葉がある。
結婚してホントに愉しいのは、蜜月のあいだだけ。
子供ができると、女性は、夫より子供のほうに目が向く。(最早、あなたの妻ではなくて、一人の子の母である)
折角、自分だけのセックスの相手を確保したはずなのに、子供が出来て、その子が小学生くらいになってくると、夫婦間でもセックスライフは減る。場合によってはなくなる。(そういう場合、往々にして、明け方4時頃に、セックスをするようになるのだが……。それもない夫婦もある)
なかにし礼氏も仰有っていたことなのだが、セックスのある暮らしというのは、人生全体のなかで見てみると、僅かな期間しかない。或いは、ないのが一般的な人の人生である。氏は、異質な空間、と、そういう時代を呼ばれていた。
自意識の芽生えた子供とひとつ屋根の下に住んでいて、夫婦の営みなど出来るわけがない。
あとに残るは、後悔だけである。
女房子供を食べさせるために、毎日、ルーティンの仕事をつづける。
そんな生活が、約25年つづくわけである。(反吐が出そうな25年である)
子供が何か問題を起こしたら、すべて尻ぬぐいしなくてはならない。
その上、成人した子供が、ニートになったりして自分の財を食ってくる。
場合によっては、息子が胸ぐらをつかんでくる。
そういう25年だから、自己実現は、その間お預けになる。
とても、自分の夢など追えない。
惚れた女と、気持ちのよい行為をしたかったばっかりに……。迂闊だったと後で気づくわけである。
子供の成長が嬉しいという面はあるが、潤沢な収入があってこその話しだろう。
既婚者と話していると、私が結婚した直後も、「もう、そろそろ子供をつくっては?」「護るものが出来たら仕事にも熱がはいる」と、しきりに子供をつくることを薦める人が多いが、
実は、彼ら、自分の人生を後悔しているのである。
「ああ、ホントは、アンタみたいに、気楽に生きたい」
と、内心思いながら、
自分が不本意な人生にはいったので、同じ側へ引き入れようとしているのである。(部活で、先輩にしごかれたから、後輩をしごいてやろう、という動機と似ている)
少子化の問題は社会全体の問題だけど、個別に自分のことを考えるのには、熟慮したほうがいいと、私は思う。
まあ、それでも、幸せな結婚生活を送っている夫婦もあることはある。