子ども向けの漫画、坂本コウ・画、崎山貴弘・山本朱里・編集、坂井宏先・発行の、『コミック版、世界の伝記 円谷英二』を読みました。
例によって、感想は追記をお待ちください。
追記・感想
日本が直接は参加しなかった第一次世界大戦より二年後、国粋主義のなかで徴兵制に
より軍隊に入られている。それが20歳のとき。
その後、第二次世界大戦で招集され、陸軍に入られているよう。44歳という年齢でだ。
この第二次世界大戦中に、真珠湾攻撃の様子を映画にしてくれ、と海軍に頼まれ、戦争の
士気高揚のためのプロパガンダ映画をつくる。(この映画は、軍や国から機密情報である
として、何の材料も渡されない状態で、真珠湾の地図を元に特撮で作られたものだが、非
常にリアルであった)
しかし、士気高揚の映画を作ったこと、しかも、非常にリアルであったことから、GH
Qからスパイ容疑をかけられ、戦後すぐには、公職追放指定を受ける。このことによって、
どこの映画会社に所属することも出来ない期間がつづいた。
そこで仕方なく、自宅に「特殊映画技術研究所」を開設し、遠巻きに映画作りにかかわ
っていく。この辺が、やはり、漫画家の水木しげる氏にしても同様に、ジリ貧でも壁があ
っても自宅から始めるなど、物事をともかく前へ進める姿勢が偉いと思う。
アメリカ映画「キングコング」を見て衝撃を受けたことから、怪獣映画を作ろうという
動機が生まれたようである。
幼い頃から、パイロットに憧れ、学校にも合格して通われるが、当時の日本の(世界も
か?)技術は未熟で、練習機も一機しかなく、その一機にて飛行中に教官が亡くなること
で学校は閉鎖、夢を諦められる。だが、当時、飛行機などというものは大変危険なものと
いう意識から誰も進んで乗りたがらない時代であったのに、カメラマンとして働き始めた
頃に、撮影所に来た飛行機に乗り、空からの写真を撮っている。好奇心旺盛だな、と思う。
やはり、人より頭一つ抜けている好奇心なりがある人が、後年成功を収めていると思う。
「あのときに、進んで自分が**していなかったら」と後で考えると、思い切った行動を
とるからこそ、人に引き上げられると言える。
『ゴジラ』シリーズが上映されていた期間は長い。私が幼い頃見た当時は、一作目の封
切りから10年以上経っていたことになる。
ウルトラマンシリーズには、監修として参加され、若い監督にすべて作らせるという若
手を育てる主旨でサポートされたようだ。
ウルトラマンシリーズは、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の放映で、一旦幕を下
ろしたのだが、視聴者の声に押されて、数年後『帰ってきたウルトラマン』から再開し、
長年つづいている。
やろうと思ったことは最後まで諦めずに実現させる。自身に厳しい人である。また、孫
にも、そういう教育をされている。人間的な暖かさもストーリーや漫画から伝わってくる。
また、家族が理解がある。叔父や妻に支えられ、長男は英二の片腕となって仕事に関わ
っている。
円谷英二氏は、本名を「英一」という。「英二」と呼ばれるようになり、自らもそう名
乗ったのは、幼い内に実母を亡くし、祖母の元で育てられたときから、叔父「円谷一郎」
と親しくなり、兄のように慕う。その頃から一郎の弟という意味で、人前でも「英二」と
名乗るようになったのだそうです。
病身の苦労をする人も居ますが、円谷英二氏には、そういう苦労はなかったようです。
建設的なことの実現のための努力と忍耐の一生だったと思われます。
読んでいて、爽快感が残ります。
コメント
>ゆきママさん
ご無沙汰しています。
ナイスを有り難うございます。
書評、少しお待ちくださいね。
来年になるかな。(笑)
ウルトラマンシリーズは、まだ続いてますものね。スゴイものです。
若手を育てるようにしていたとは意外でした。そうしたやり方がその後の
特撮映画の発展にもつながっているのでしょうね。
遅ればせながら、本年もよろしくお願い致します^^。
>sakamonoさん
僕らがウルトラマンやウルトラセブンを見ていたとき、すでに円谷さんはご高齢だったようです。自分で指揮することも出来るのに、若手に一切を任された、そういう指導法が良かったのですね。
こちらこそ、今年も、よろしくお願い致します。(^。^)