永六輔(えい・ろくすけ)さんの、『永六輔のお話し供養』を読みました。
例によって、感想は、追記をお待ちください。
追記・感想
湖上のボートが装画である。
表紙には、男性が一人。裏表紙には、男性とその家族と思われる女性と子どもたちが描
かれている。
これは、離別と回想を表しているのだと思う。
男性が先に旅立ったのか、それとも家族を不運な天災で失ったのだろうか。
永六輔氏は、まず語る。
人の死は、二回ある、と。
ひとつは、生命体としての死。
もう一つは、生きている者の誰からも思い出が語られなくなったとき。
そして、この本では、永六輔氏にゆかりのあった人物の思い出が、永氏の口から語られ
る。
放送作家が本業の永氏。一流の人との交流が多い。
戦後、縁故疎開から東京に戻られる。
本編を読んでいて、その当時の人たちは、親身に他人のことを思うということがある。
おせっかいだとしても、「みんなが同じような苦労をしたのだから」という気持ち(連帯
意識)が強かったのだろう。
ご自身が、パーキンソン症候群という病だから、幻覚を見やすいということもあるらし
いのだが、永氏は、雑踏や映画館の客席のなかに、故人・渥美清さんを見かける、と仰有
る。
私も妻の葬儀のあとに、遠くで、夫婦でじゃれあっていたときの妻の声をたしかに聞い
た。
そういうふうに、故人を思い出すことが、ひとつの供養ではないか、と仰有る。
歩道と車道を仕切る古い鎖を盗んで補導されたときに、おまわりさんに、「お前の顔は、
一度見たら忘れられない。『フランス座』に行け」と諭された渥美清少年。永六輔氏のご
実家に身を寄せておられた渥美清さん。毎日、故郷のお母さんに、「お袋、俺、元気」と
だけ書いた葉書を送っておられた。
「自分の誕生日を祝うのは、間違っている」と、淀川長治さんに諭されたお話し。誕生
日に一番大変だったのは、産んでくれたお母さんだから、という自説で。
某放送局の食堂で、永さんにステーキを奢ってくれた淀川さん。なかなか切れないパサ
パサのステーキに格闘している永さんに、「自分でお金を稼ぐようになったら、横浜のニ
ューグランドホテルに行って、同じステーキを注文しなさい。どんなに違うか分かるから」
と、一流の物の良さを教えてくださったらしい。
シャンソン歌手の石井好子さん、坂本九さん、作曲家・中村八大さん、いずみたくさん、
岸田今日子さん、立川談志さんらとの、心温まるエピソードの数々を紹介されます。
永さんが、これらの人たちから、人生の教訓のようなものを教わったところが大きい。
それも、さりげなく、単なる説教じゃなく教えてくれた先輩たちです。
もう、ご自身も高齢になられているから、余計、先日までつき合いのあった故人のこと
を偲ばれるのだと思います。
東日本大震災などで、多くの方々が、身内や友人を亡くされているのですが、故人は、
生きている者が話題に出すかぎりは、まだ亡くなったとは言えない。故人について語ろう、
と最終ページには、読者が綴る原稿用紙も用意されていました。
やはり、人は、人のおかげで生きているのですね。
コメント
こんにちは。春ですね。友達みんなで花見でも行く予定をたてないとですね。いい季節ですから。メタボは解消されましたか。
>坂田さん
交友関係が、今のところゼロなので、今年も去年に引きつづき、自室で外の桜を鏡に映して、独り花見ですね。
メタボは改善していません。それどころか、現在97キロになっています。(笑)
こんばんは。最近拝見しております。もし、家族がいなくなり一人になった時を想像したら、どんな行動にでると思われますか?孤独にさいまれなくなり、ひきこもる、もしくはやけ酒を飲む(アルコール中毒)、もしくはひとり旅にでるなど、どのパターンに自分がなると思いますか。
>ワイワイマンデーさん
以前、蜜月時代に、妻が亡くなってますからね。あれ以上のショックは、今の同居家族が亡くなってもないでしょう。
障害基礎年金、老齢年金と確保できてますので、自炊して、今までどおり原稿を書きつづけるでしょうね。
もうちょっと、料理のレパートリーを増やしておかなくては、と思いますね。
また、お寄りくださいね。(^。^)