PR

母校の話

 母校、高校の場合は、途中で編入したので2校なんですが、

最初に行った、多可高校というのは、当時は、西脇高校に行けない人が次に行くレベルの、偏差値の高い高校でした。

 社高校か多可高校か、どちらが上か、という程度の偏差値だったのですが、

今は、落ちています。

 それは、JRの鍛冶屋(かじや)線という路線が廃止になって、通学の便がわるくなったので、バスで行くか、遠距離を自転車で通う、という条件でも西脇から通学する、という生徒が少ないので、偏差値が下がってしまったのだと思います。(西脇の中心街からだと、14キロぐらいです。僕も自転車通学してました)

 当時は、新設校だったので、進取の気風に溢れています、と、中学の担任も太鼓判を捺していましたが。

 生徒数が、普通の高校の半分くらい。のどかな環境です。

 部には昇格できませんでしたが、今の吹奏楽部の前身の吹奏楽同好会をつくったのは僕です。

 社高校には、近所の幼なじみが行ってましたから、同じ高校に通うのは気恥ずかしくて多可高校にしたのですが。

 一方、編入した、西脇北高校というのは、今では、だいぶ偏差値が上がってきています。

 昼間部と夜間部に分かれ、当時の織物工のための半日の昼間部だけではなく、丸一日の昼間部も出来て、定時制とは別に、全日制の学部も出来たようです。最短で一般の高校と同じ三年で卒業することが出来るらしいです。

  僕の中学現役当時、賢い子が学年で一人、小野高校に行く、よくできる子が西脇高校に行く、その次のランクが社や多可、その次のランクまたは技術を学びたい子が西脇工業高校に行く、その下が滑り止めで東洋大付属、吉川という順でした。

 西脇工業高校は、当時は酷く荒れた高校で、喧嘩は絶えない、煙草の吸い殻が廊下に落ちている、というような状況で、中学のとき、工業祭を見に行って、「ここには進学しないでおこう」と思ったほどでした。

 が、今や西脇工業高校は、駅伝でも全国区、野球でも甲子園に出場するし、生徒も道で会ってもきちんと挨拶する子ばかりです。大きな変化ですね。偏差値も上がっています。

 母校の偏差値の高さを自慢する人、出身大学を自慢する人、居ますが、学校は卒業証書をもらうのが一番の目的ですからね。

 どんな高校を出ても、高卒は高卒です。どんな大学を出ても、大卒は大卒です。

 たとえば、高校を卒業していないと受けられない試験もありますね。

 私はこのブログで万年筆の魅力を綴ってきましたが、実は長年、その万年筆を相棒に物語を紡いできた小説家でもあります。

 インクが紙に染み込むように、人の心の奥底にある「光と影」をすくい上げたい——。そんな想いで書き上げたのが、私の代表作『閉鎖病棟』です。

 閉ざされた場所で交錯する、剥き出しの人間模様。 作家として「本当に面白い、価値のあるものを届けたい」という一心で、一文字ずつ丁寧に命を吹き込みました。

 万年筆を愛するあなたなら、きっとこの物語の「手触り」を感じていただけるはずです。

 画面を閉じる前に、ぜひ一度、私の本の世界を覗いてみてください。

ラフに語る、つれづれ記
山雨 乃兎をフォローする

コメント

  1. 山雨 乃兎 より:

    >ビター・スイートさん
    ナイスを有り難うございます。(^。^)

PVアクセスランキング にほんブログ村 新(朝日を忘れた小説家)山雨乃兎のブログ - にほんブログ村