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『地獄誕生の物語』読了(追記あり)

 中川文人さんの、『地獄誕生の物語』を読みました。


地獄誕生の物語

地獄誕生の物語

  • 作者: 中川 文人
  • 出版社/メーカー: 以文社
  • 発売日: 2008/02/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 感想は明日以降に追記記事で挙げますので、しばらくお待ちください。

 

 レビュー

「地獄を見た」という言葉が、日常の会話のなかでよく使われるが、地獄に行ったことがないのに地獄を見たというのは矛盾している。「あれは確かに地獄だった。だけど、なぜ、それが地獄とわかったのだろう」という疑問から執筆の動機が起こった、と著者は語る。
 地獄が、世間の概念としてない国も存在する。(現在でも)
 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』で、誰しもが(学校で国語の時間に読むことから)地獄を教わる。
 その芥川が書いた壮絶な地獄、『地獄変』。

 仏典のなかの『往生要集』には、地獄の構造からその様子に至るまで細かく書かれている。
 地獄は、この世の戦場を元に想像されたのではないかという論旨。

 それから、『ナラクの悲劇』という地獄誕生の物語りが本編に挿入されている。(古代アッシリアの戦争の仕方、本土、周りの国での殺戮の様子などが基となって創られた物語りのようだ。私の理解が不充分なので、詳しくは本編を読んでください)

 西洋の地獄を描いた絵からは痛みをあまり感じない。
 仏教では、死後の世界である地獄道もこの世の一部だが、キリスト教では、地獄はあの世という全く別の世界。西洋の文学のなかの地獄は、著名人が登場人物であって苦しんでいるので、読み手が自分に置きかえて痛みを感じることがない等がその理由だろうと著者は論ずる。
 西洋ではキリスト教以前のギリシャ神話のカロン(ようするに「三途の川」の川守)とケルベロス(「地獄の番犬」の異名を持つ三つの頭を持つ犬)の概念がキリスト教世界でも一般人のなかでは概念として有るのだろうと推測される。
 西洋で、地獄を描いた作品と言えば、ダンテの『神曲』だろう。その『神曲』にも先達となる古典があった。ローマの詩人、ウェルギリウスの長編叙事詩『アエネーイス』だ。

 西洋人にとってギリシャ神話が古典として影響を与えているが、その古代ギリシャ人でさえ、現地には移住して入ってきて定住したのであり、先住民が信仰していた神々を受け容れたという経緯がある。
 カロンとケルベロスの物語をギリシャ人に伝えた人たちがどこから来て、どこに消えたのか、その物語りに何を託したのかは分からない、ということだ。
(上記全文中には本編からの引用を含みます)

 以上ですが、殆ど本編をなぞっただけになってしまいました。
 東洋、特に仏教では精密な地獄の構造から位置、規模までが考えられている。
 地獄というのは、生きていてもあるものだと思う。
 西洋では、あの世のこととして具体的な概念が乏しい。ダンテの『神曲』に構造が描かれているが、概ね私は、天国の出来そこないのような所のように思った。
 聖書では、ゲヘナという言葉で表されている。
 ゲヘナとは火の海という風に私は解釈しているが、正確には知らない。ともかく、そんな所に落とされるので悪いことをせず、信仰を保てという教えが説かれているのだろう。
 『往生要集』の紹介が凄かった。
 地獄では、責め苦を受け、死んでも、何度も蘇って同じ苦しみを味わうのだという。 死んで無になれないとしたら、しかも死後の世界で自分の過ごしたいように過ごせないのだとしたら、来世の為に現世での生活を正すということは意味があることなのかも知れない。
 感想という処が殆どなかったが、これで纏めとしたい。

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コメント

  1. 岩上智一郎 より:

     地獄ですか……
     闇に覆われた半永久的な苦しみを味わう場所、そんなイメージが自分にはあります
     神話や聖書って何かしらですべてがどこかで繋がっているんですよね
     そう考えると、人間って奥が深い生き物ですね
     久しぶりにちょびっとサイマリンガルに対しての事を書いてしまいました
     もうあそこから印税はいいやって気持ちになれたのでw

  2. 山雨 乃兎 より:

    >岩上さん
    印税は受けとらないと駄目ですよ。
    当然の権利なんですから。
    神話や聖書のことを引きあいに本編をすすめる小説は多いです。
    何か、人間が受け止めるべき内容が有るのかもしれませんね。
    これから、記事を確認して、主張すべきだと思ったらメールしますからね。
    立腹することと、契約を守ってもらうこととは別ですから。
    では、また。(^。^)

  3. おみ より:

    私も、地獄って戦場のことだと思います。
    どこに本意があるのかは分かりませんが、
    戒めの気持ちから、
    この場面を繰り返したくはない、
    という気持ちから地獄を作り出したのではなかったのかなぁ、
    と思います。
    現在の状況を見ると、
    全く戒めになっていないところが、人間の愚かさだと思うのです。
    戦争、虐殺、いつまで経っても、
    なくなりませんね。
    今の戦争と比べると、昔は白兵戦でお互いに直に殺し合うのが主だから、
    恐怖感もまた増幅されたんではないかと。
    そういう中で、宗教は育まれていったんでしょうね。
    直接命のやりとりをする昔と、
    ボタン押して大量の命を奪うミサイルを使う今とでは、
    命を奪う事への感情の希薄さがどうしても
    温度差として感じられてしまうのです。
    そういうことが、他人への無関心につながるのかな、
    と思います。

  4. 山雨 乃兎 より:

    >おみさん
    世界的には、核の脅威を与えあって、平和の均衡を保とうとしているのが現代なんだと思います。
    しかし、おみさんの仰有るように、ボタンを押して、全体的に相手にどれだけダメージを与えることができたかどうか、だけの策謀だと、直に痛みは感じないままですね。
    歴史は繰り返す、との言葉の通り、何度も戦争があったのですが、現代で大きな国同士が本格的に戦闘状態に入ると、もうお仕舞いですね。
    本編にも書きましたが、やはり地獄というのは、現世のこの生きている瞬間に存在するように感じます。
    余談ですが、おみさん、世界的な策謀のぶつかり合いのようなストーリーがお好きですね。僕も、『壁蝨』では、個人にどちらかというと焦点を当てていましたが、そんな世界のどうすることも出来ないうねりに翻弄される主人公を描いてみたいと思っています。なかなか難しいんですが…。
    また、お寄りしますね。(^。^)

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