山崎ナオコーラさんの、『長い終わりが始まる』を読みました。
例によって、感想は、追記で挙げますので、しばらくお待ちくださいね。
追記・感想
殆ど、ネタバレになるので、先に本編を読まれることをお勧めします。
大学四年生の小笠原(女性)と田中(男性でこの楽団の指揮者)が、マンドリン・サークルでの活動と同時に微妙な恋愛もする。
就職活動にも出遅れている二人だが、焦りはしない。
小笠原は、サークル活動と言えども、真剣にとりくむ。とりたてて優秀な部ではないのに、今しかできない事という思いから真剣になる。同学年の他の連中は、サークル活動以外のことに愉しみの重点を置いたり、就職活動に力を入れる。
小笠原は田中のことが好きで、しかし、田中にはつき合っている女性部員が居る、と知っている。が、それでも、小笠原は、自分が田中が好きな気持ちを田中に隠さない。
部活動が終わってから、一緒に中華料理を食べに行き、そのまま田中の家に行くことになって、自然に事に及ぶが、上手くいかない。
主人公の小笠原は、それを、自分が生娘だからなのかも知れない、と思うのだが。
小笠原から見ると、田中は、男同士の友達づきあいは下手だが、女性部員の会話にはすっと入っていって、特定の彼女も居るから、モテる男に見えるようだ。
でも、実は、田中も、この時、女性経験が未だないのである。
つき合っていた女性に振られて、「小笠原のことが好きになったみたい」と電話してくる田中。
ほうほう、よくある男性特有のずるいやり方。ところが、小笠原の反応が遅いので、その間に、田中は別の女性と深い仲になってしまう。
そんな事があって(他にも、四年生の幹部だけがまとまった別格の待遇で別行動(幹部会議)などをしている、それによっての疎外感からも)、全体練習で指揮されるとき以外は極力、田中とは視線を合わさず会話もしなくしていた小笠原だったが、それでも、相手が自分のことを思ってくれていなくても、田中に指揮されるとき目が合うと嬉しいという感情。
また、小笠原の方から、田中を誘ってお互いに気まずさを払拭して、成りゆきで、今度は小笠原のアパートに行く。
事に及ぶと、今度はスムーズに終わるんです。
という事は、田中は、小笠原の知らない処で経験をしてきたのですね。
主人公が小笠原なので、書いてる山崎ナオコーラさん自身も、こういう事は分かって敢えて書いているのか、小笠原目線の範囲でしか分かっていない類似した体験を元にしたのか、はっきり分かりませんが。
女性同士の意地の張り合いとか、楽器の上達が早い後輩には優しく、遅い後輩には厳しくしてしまう、とかの内面の気持ちの理由などのディテールが充分に書き込まれていたので、読み甲斐があり、情景の輪郭が浮かびました。
ああ、モラトリアムな立場が許された、ほのぼのとした時間の流れの緩やかな大学生活。こういう時季を僕も持ちたかった、と思いました。
小笠原と田中が、同格の主人公になっていますが、自己の内面心理をそのまま表した文があるのは小笠原だけ。それなら、「小笠原」としなくても「私」でも、「アタシ」でもいいような気はしますが。それは、問題にすることでもないか。
マンドリン・オーケストラというものが有るなんて知りませんでした。
長い終わりとは、クラシックの曲などで、「これで終わりますよ」という曲調の変化した部分から本当に曲が終わるまでが長い場合のことを言っているようです。
田中との友人関係も含めた付き合いの終わり、大学生活の終わり、の事にもかけていらっしゃるのかも知れません。
装丁の、木造の古いアパートらしき写真。お風呂場から、大学か高校の学舎が見えているところが、何とも気分がゆったりします。
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