井筒和幸監督の『パッチギ!』を、Gyo放送で観ました。↓
井筒監督の作品で、ふれ込みも多かったから、覚悟して観た。
やはり、暴力シーンが生々しい。
韓国・朝鮮の三十八度線を隔てられたけれども民族一致意識がつよいことを描かれてい
る。
しかも、日本人(現代の日本人)が、どう在日朝鮮人に接するべきなのか、を考えさせ
られる映画だった。
ザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』という曲が作中のキーワードとして出て
くる。
谷村新司の『昴』と著作権問題があったやに聞く。定かではない。
1960年代の京都を舞台としている。
やはり、あの時代、誰もに活気があった。やる気があった。
高校生同士の喧嘩が多く出てくるのだが、京都だと、やはり朝鮮学校といっても、あん
なに規模が大きかったのだろうか、と気づかされた。私の地元の兵庫内陸では、朝鮮学校
は規模が小さく、だから、そんなにタイマン(喧嘩)とかは、多くはなかったように思う
のだ。
ケンドーコバヤシ演じる、日本の高校生の番長の演技も板についていた。
中盤で、朝鮮学校の番長の制服をショップに売りに行った男子が、日本人の大阪から遠
征していた不良にぼこぼこにやられて死んでしまうのだが……。
やはり、普段から周囲に威圧をかける行動というのはおいしい面もあるが、いつ自分が
やられるかもしれない、という不安定な場所に立っている。
朝鮮学校にサッカーの親善試合を申し込むように促された主人公。なかなか簡単に親睦
的な雰囲気にはなれない歯がゆさを感じる展開。
一方、もう一人の主人公は、朝鮮学校(高校)の女子に恋心を抱いて、つき合いを願う
ためアプローチする。(済みません。この主人公が同一で一人だったのかもです。詳しくはご視聴ください)
この主人公が偉い。この当時、差別は歴としてあった訳で、惚れた女の子には怖いお兄さんも居た
訳である。それでも、深い仲になりたいとの一心から、辞書まで買って、朝鮮語も勉強して朝鮮部落
へも入っていく。一見軟弱な彼だが、なかなかに芯の通った男である。
こちらの主人公が出会う中年の人は、一杯飲み屋を経営していて、音楽通。スウェーデ
ンに、ちょっと見聞を広めに行ってくる、といった行動もとる行動派。だが、大人しいタ
イプだ。主人公にギターも教えるし、その当時学生運動で盛り上がっていたからだろう革
命を目指すべき、と主人公を諭す。(この役が、オダギリ・ジョー)
『イムジン河』という曲を習得し、ラジオ番組の歌謡コンテストに出場するために頑張
る主人公。その『イムジン河』という曲が、日本人、朝鮮人のお互いの差別意識を溶かす。
朝鮮学校の高校生と懇意になった主人公だが、それでも、朝鮮学校の生徒が日本人高校
生との喧嘩で死んだときには、その葬儀のとき、決定的な理解し合えない現状に突き当た
る。
日本は朝鮮半島を侵略し、日本本土へも奴隷として朝鮮人をひっぱってきている。
戦後になったとはいえ、「国会議事堂の大理石を実際に運んだのは誰か」とか「淀川の
しじみを食ったことがあるか」とか、主人公は葬儀の場で遺族に責められる。
若いゆえの、判断不足、しかし、自由奔放なエネルギー。
性についてなるべく早く大人になりたいという意識。
それ以外の分野でも、大人の理解している知識を得たいと願う気持ち。
喧嘩、報復の喧嘩、を繰り返しながら、或いは、フォークソングという媒体を習得しな
がら、それぞれに大人の世界に足を踏み入れていく。
60年代といえば、やはり本編のような時代だったかなぁ、と自分の軌跡を思いおこす
ようであった。(かといって、自分は、喧嘩も出来るだけ避けるような文化部の生き方で
したが……)
コメント
>ビター スイートさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)