関口智弘さんの、『群れない力』を読みました。
群れない力 「人付き合いが上手い人ほど貧乏になる時代」における勝つ人の習慣 (経済界新書)
- 作者: 関口 智弘
- 出版社/メーカー: 経済界
- 発売日: 2013/04/25
- メディア: 新書
例によって、感想は、追記をお待ちください。
追記・感想
余分な人間関係は、すべて切ってしまえ
この書には、大いに共感しました。
ともかく、余分な人間関係は、すべて切ってしまえ、と仰有っています。
Facebookで、友達の友達が繋がるのは意味がない。また、友達でも、普段から付きあいの多い人でなければ、Facebookの友達になる意味はない。ただ、近しい友人からの友達申請は断りにくいので、たまに相手のページを覗きにいって、「ああ、なんと面白みのないステレオタイプの人間なんだこいつは」と思いながら見て、自分の優越感を保持するために使用すればよい、とのことです。
私が普段から思っていることと一致したのは、力量の低い人と組むと、総合力が自分の力量以下になってしまう、ということです。
今でこそ、私、吹奏楽を現役でやっていた時代とは違い、トランペットもトロンボーンもド下手になっていますが、現役時代は綺麗な音が出ていたのです。合奏のとき、下手な(音質の悪い)奏者が一人でも混じると、全体の音は、零点以下になってしまいます。
この本の表紙にも書かれていることですが、1の力を持った自分と、0.5の力の友人が組んで事業でも興すと、1×0.5で、0.5の結果になってしまいます。仕事だから、成績が悪いのを笑っている場合ではありません。私と一緒に事業を統合しよう、という友人が居たのですが、断りました。
仕事は、商売は、学生気分でわいわいやるものではないのです。力を貸してもらうとすれば親族までです。一人で出来る仕事を二人でやると、収入は半分になってしまいます。そういう意味でも、よくありません。
「オマエは、こういうことが得意だろ? おれは、こういう方面が得意なんだ。一緒に力を合わせよう」という知人・友人がやたら多いですが、得意なら得意で、スーパーに得意かどうかが肝心です。中途半端な力量の者が二人寄っても、仕事にはなりません。
「絆」とは、「束縛」という意味がある
他の本にも書かれていたことですが、「絆」とは、「束縛」という意味があります。
身内や自分の配偶者か子以外に、そんなにつるむ必要はないでしょう。
貴方が友人と思っている人は、本当の友人ですか。親友ですか。ただの知人なのではないでしょうか。私の知人にも、「友達やがい」と言って妙になれなれしく接してくる人が居ますが、同級生というだけで、現役学生時代にもほとんと口をきいたことがないのに、40すぎた頃から頻繁に連絡してくるようになった人です。
親友とは、「千人に、ただ一人の友」でないと嘘です。聖書に出てくる話ですので調べてみてください。
相手の金を勝手に使ってしまうような友達です。だけど、自分の金が相手に使われても腹が立たないのです。
この本のなかでは、「テイク・テイク・テイク・テイクで、ギブ・ギブ・ギブ・ギブな関係」と仰有っています。
付き合いたくない人を、疎遠にする方法
携帯を解約して、新たに作り、連絡を取り合いたい人だけに番号を教え、義理で登録しあった相手の番号は、登録を外してしまえ、そして、無登録の電話には出ないこと、と。
携帯のメアドは、もの凄く長いものにして、相手が登録できないようにして、こちらからはメールを送るな、と。
同窓会など出るな、と。
別の本でも読んだのですが、たまにやる同窓会ならいいですが、同窓会に出ても、昔の友人と話が合わない、と著者は仰有っていました。それに、共通の話題は、昔話。あのときのオマエの凡ミスで県大会を逃したんだ、いやー、惜しかったな、というような、時間が止まってしまっていて、思い出に浸るような話で盛り上がるだけだ、と。
また、現在の職場で、深くはつきあいをしたくない場合のファッションの作り方、なども書かれていました。
要は、我慢してつづける人間関係が、創作意欲を削ぐのです。
タイミングの悪いときに電話してくる相手とも縁を切るべき、と仰有っていました。そういう相手とは、何をしても上手くいかないから。
会うべき人とは、また巡り会う
人間関係をとことん切っても、会うべき人だったら、また巡り会うそうです。
キャバクラ、ホストクラブ、DJのクラブなどには行くな、と。
まったく共感ですが、居酒屋でももの凄く人口密度の高い居酒屋で、隣の相手の声も聞こえにくいようなところで、どうやってコミュニケーションをとるのでしょうか。また、飲み屋は、雰囲気に浸るために行っているだけで、誰も貴方の歌など聴いていませんし、女の子の手も握れません。「おれも、こういうところで豪遊できるようになったものだ」と、自尊心を満足させるためだけにあるような場所です。私の持論ですが、飲み屋に行くくらいなら、風俗に行きましょう。
この著者が一番言いたかったと推測できることは、Facebookが気持ち悪い。うっとうしい。ということでしょう。
こんなものを食べました、とか、誰でも行くことが出来るどこそこに行ってきました、というような記事。今度、どこそこで演奏会をします、とか。
しかも、それを、身内に向かって垂れ流している。
YouTubeに自分の演奏の動画を挙げる場合には、自分の顔をお面をかぶって隠す。
万人に向けて、ブログをやらないと、と思います。しかも、誰が読んでも、「価値があった」とか「面白かった」と思える記事を書くべきです。
貴方を自分の脇に置いて懐柔してくる友人
無駄な人間関係は、相手にいいように利用されていることが多いです。
たとえば、貴方と居ると、自分のほうが颯爽とした美男に見られるから、などです。
同級生なのに、相手がその呼び方を嫌っているのに、相手のことを「ちゃん付け」で呼ぶようなことも、その例です。
孤独だからこそ、創作が捗る
この本の著者も同じ意見ですが、孤独が一番です。
孤独でないと、創作は捗りません。
千人に、ただ一人の友か、妻が居れば、それで充分です。
本編を要約すると、コミュニケーションは、少人数の者と深く分かり合うことで、大人数で、表層的に相づちを打ち合うようなのは、コミュニケーションとは言わない、ということになります。
コメント
突然のコメント、失礼いたします。
書評でつながる読書コミュニティサイト「本が好き!」を運営しております、和氣と申します。
今回レビューを拝読し、ぜひ本が好き!にもレビューを投稿していただきたいと思いコメントいたしました。
(無料会員制サイトです)
弊サイトにはその名の通り、本好きが多く投稿しており、交流することで今までにない本と出会えます。
ご自身のサイトと併用で利用されている方も多いです。
(弊サイトの書評掲載画面に、貴ブログへのリンクを貼ることができます。)
本が好き!では、書評(レビュー)をサイトに投稿していただくと本がもらえる、献本サービスを行なっております。
よろしければ一度サイトをご覧いただけますと幸いです。
不明な点などありましたらお気軽にご連絡ください。
どうぞよろしくお願いいたします。