曽野綾子さんの、『悪と不純の楽しさ』を読みました。
簡単には、レビューが書けないので、少し待ってください。(と言って、新記事だけを挙げるのは狡い作戦みえみえですね(笑))
けれども、ホントに、後で(追記で)レビューを書きますので、暫くお待ちください。
さて、感想です。
多数派に与する作家が多い、理想主義なヒューマニスト発言をする人が多い、という事に、著者の曽野さんは嫌気が差しているようです。
例えば小説は、人間の美醜両方を率直に著すもので、作品に道徳の教えのような「こう生きるべきだ」というような、一般読者に向けての牽引力を指し示したりは特にすべきではない、と仰有られています。
慈善をする場合にも、損得勘定があっていいし、それも得に一致していれば実質的な善行を容易く行うことができる、と。
『病醜のダミアン』の項では、ダミアン神父が、ハワイのモロカイ島にハンセン病患者たちの村を開かれ、治療法のない時代に同じ病気に罹って亡くなられた、その末期の病状の姿をモデルとして舟越保武氏の制作された彫刻を元患者の社会復帰者がつくる団体の「展示は病気への誤解偏見を生む」という訴えで、埼玉県立近代美術館が三年近く彫像を撤去していた事実があり、この問題では、ダミアン神父が自身の健康を損なってまでも、ハンセン病の患者たちに献身したその心を表現しているのが一番の作品の意味なので、現実を直視したがらない日本人の風潮の方がおかしい、と嘆かれている。
岩手県立博物館と兵庫県立近代美術館、訴えに抵抗して展示をつづけたという。
全編を通して、何が大事なことなのか、を問うている。
『精巧絢爛豪華金ぴか』の項では、ご自身の陶器に関しての趣味が語られる。曽野さんは、存在感のある主張の強い焼き物がお好きだそうだ。その件でも、知人となられた方との会話を出されて、質素な(規模が小さいという訳ではない)旧家に住まれていると、茶器は却って奇抜な洋物を使いたくなる、と知人の方は語られ、曽野さんの方は、築20年のお家(日本建築ではあるが、築100年というほどには古くない)でも、日本の陶器を好んで使われるらしい。それも、「精巧絢爛豪華金ぴか」の陶器の方を好まれるらしい。と、「わび・さび」に関してのご自身の嗜好を語られている。
『風景の一面』と『それとなく別れて住む優しさ』の項では、ブラック(黒人)の性格、傾向を描写されている。アパルトヘイト政策が問題であったことは確かだが、ブラックの人達の被害者意識は酷いもので、自分たちは常に悪い待遇を受けて、その事実を隠されていると思い込んでいる(黒人すべてという訳ではないが)。強奪や、強姦が、黒人居住区では日常的に起こっている。海外の支援で建てられた学校なども自分たち自らが壊す。それをアパルトヘイトのせいにする等。それだけ気風や生活価値観などが違うそうだ。そういう現状を新聞は書かないというのも変だ、と指摘されていました。
ともかく、この本読むと、私などには新事実が多くて、しかもレベルの高い文章なので、これに関してはこう思ったとはなかなか全てを挙げるところまでは行きません。
しかし、曽野さんという方は、世界を実際に見てきていらっしゃるし、それぞれの時事問題に関してご自身の意見を持っておられるし、その意見が気骨に溢れている、と感じました。
お薦めの一冊です。
コメント
ああ、これ、読んでみたいと思いました。
こういう内容のものは、取材も恐ろしく根気がいるものでしょうね。
被害者の意識、の認識は客観的に見ると
意外に共通するものなのかもしれません。
被害者であるけども、それでも立ち上がろうとする人と、
それで壊れてしまう人と。
加害者にも、被害者にも、
どちらにもなった事がない人なんていないだろう世の中で、
自分がどう行動するか。
自分だったら、どうなんだろう、と考えます。
>sasasaさん
ナイスをありがとうございます。
>おみさん
この本、ノンフィクションというより、エッセイとして書かれていますが、曽野さんご自身の体験に基づく考え方を書かれているようです。
悪は必ず現世には存在するものとしてその部分とどうつきあっていくか等の考察も興味深いです。曽野さんの小説の方も読まなくては、と思っています。