堺屋太一さんの、『ブランドと百円ショップ(知恵働きの時代)』を読みました。
経済は流動しているので、今、この本を読むのは遅い、と言われそうですが…。
感想は、追記で挙げますね。(^。^)
纏めにくいのと、本人の疲労から、少し待っていただくかもです。
明日以降、ひょっとしたら大分先になるかもですが、どうぞ、ご了承ください。
本編の終わりに、「今日とちがう明日」「時の正夢」(『週刊朝日』2001年11月30日号~2004年11月5日号)より抜粋、とある。
週刊朝日に寄稿または連載されたのだろう。
以下に、一部分の各章ごとの論旨を、僕なりにまとめてみたいと思う。
◎「質」を要求しない若者たち
音、味、品質にこだわらない若者。
その若者が消費者なので、売り手の細部へのこだわりは要求されず、機能としてのも充分な商品が流通する世になった。
◎「かたち」と「きもち」
「かたち」は人間でいえば体格、体形、体質。
「きもち」は気性、気風、気質。
これを国に置きかえると、「かたち」は国土の形。
体形にあたる国土の中の人口や機能の配置は2000年ごろから、東京集中に激化しすぎている。
体質にあたる政治行政機構とその働きは、縦割り官僚機構による中央集権。
この体質が、現代では、いい状態であるとは言えない。
これが外国への情報発信力低下も招いている。
「きもち」は国民性。
まじめで一本気で、利発だが短気で視野が狭い。そして、バブルの崩壊以降に、責任回避と悲観主義に傾いている。
昭和の時代は楽観的で自己陶酔の状態だったが、やりすぎの失敗で自己喪失。弱気になってしまった。
規格型の集団主義を変えなければ、と、堺屋氏は結ぶ。
優勝劣敗あってこそ、進歩も喜びもある。
一人の賢者が技術を開発し事業を興せば、千人が職を得て豊かになる。
◎「改革の自転」
七〇年代、イギリスとアメリカは、それぞれの事情で不況に喘いでいた。
新勢力でも独裁者でもないサッチャー首相やレーガン大統領は、自由化と景気振興を大胆に進めるうちに「改革の自転」が生じて世の中が変わってしまった。
現体制を牛耳る人々に対する国民の信頼が失われていたから。
◎ゼロ金利は世の中を歪める
資金が適切な利用者に有効に活用されるのは金利があるから。
金利がほぼゼロでは、金融機関自体が預金を活用しなければならないというプレッシャーを持たないので、日本銀行に預けっぱなしにしてもよいという考えになる。
ペイオフ導入後(もう、今は導入されているが)当座預金にお金が流れ、預金者たる国民大衆の得るべき利子が金融機関に奪いとられる。
利子として国民が受けとるはずの金額は大きい。1400兆円の個人資産があるからだ。
堺屋氏は、金利を早期正常化すべきと仰有っている。
◎飛ばされた団塊
2004年九月の第二次小泉内閣では、党三役、閣僚全ての組閣で1946~1950年生まれの人は外された。
理由は目立った人材が居ないから。
それは、団塊の世代が育った環境が、とても「温暖」だったから……と、団塊の世代に対する論考がつづく。
子供~青年の時期は、高度経済成長期。
青年~中年期は、バブル期である。
「なんだかんだ言っても、どうにかなる」と思って、どうにかなってきた、を体験した世代と言える。
改革を望む小泉内閣は、「現体制はよい」と芯では思う傾向の団塊の世代を敢えて外したのではないか。(これは、僕の考えも含まれていますが)
◎昨日の仮説が今日は絶対になる
外交とは国是を持つ事だと、堺屋氏は仰有る。
戦前は「イギリス陣営に属して産業社会の近代化を目指す」。
第二次大戦まえと、戦中は、「アメリカとソ連の進出を阻んでアジアに日本の勢力圏(大東亜共栄圏)をつくる」。
戦後は、「日米同盟を基軸として西側陣営に属して、経済大国軍事小国を目指す」だった。
1990年に冷戦が終わって、今までの外交コンセプトは通用しなくなった。
今の処、「北方領土の回復と国際連合の安全保障理事会の常任理事国になろう」というものだが、
これは外交コンセプトというほどの規模がない。しかも進展していない。
外交に、勢い、や意欲や胆力を感じられない旨の事を堺屋氏は指摘し、日本の存在感と立脚点をはっきりさせる外交コンセプトの策定を急ぐべきだ、と仰有っている。
*これ以上、長々と、内容の説明をするのは、著者の堺屋氏に対して申し訳ないので、あと一つ紹介するに留めようと思う。
レーガン大統領の経済政策(レーガノミックス)に関しての記述が、一番、印象に残った。
規制と重税ではなく、自由化と大減税を行った。レーガン大統領、就任当時のアメリカの財政は大赤字だったのにだ。
GDPの三%近い大減税。その中心は所得税の累進課税を緩和する「金持ち優遇」。
運輸、金融、貿易などで大胆な自由化。
アジアから工業製品の輸入が急増、国際収支の赤字が膨れ上がる。アメリカ産業は大打撃を受ける。
企業の倒産や閉鎖が続出。
金融機関の破綻も相次ぐ。
各方面から非難を浴びるが動じない。
レーガンの考えは、金ドル交換を停止したペーパーマネーの時代には、国際収支の赤字は恐れるに足らぬ。自由化による激しい競争こそが、国民の知恵と勇気を引き出し、新しい技術と産業を産む、というものだ。
八年間の就任期間中に、アメリカでは規格大量生産型の製造業や古い
タイプの陸運航空が衰退。代わって新しい情報、金融、観光、個人サービスなどの新産業が芽生えた。
僕としては、こういうやり方もあるのか、と思った。
しかし、いつまで経っても不況が長引くままになる可能性も有る。新興産業がどんどん出てきて、といっても、現在から未来のことは予期しにくい。
堺屋太一氏がロナルド・レーガン氏と対談されたとき、レーガン氏が言われた言葉の一部を紹介しよう。
「財政赤字など大した問題ではない。ある日、政治家がガソリン一ガロンに一ドルの税金をかける決断をすればたちまち解決するからだ。これに比べて、冷戦や犯罪の問題は、政治家が決断しただけでは解決しない。(後略)」
以上、本編の引用を交えて纏めてみました。
堺屋氏が全編を通して一番力説されたいことは、水平分業から工程分業へ、ということだろう。
規格大量生産した製品を、国と国とで輸出入する形で昭和の時代から冷戦が終わる頃までは来たが、これからは、全世界を大きな企業と見立てて、この国に企画部門があり、かの国に技術開発部門があり、又かの国に製造工場があり、また別の国に、宣伝・流通部門がある、という形になるべきだし、現実にそうなりつつある。
どの国にどの部門を置けばよいかを考え、低いコストで質のいい物をつくる。その頭脳とも言うべき、新技術開発や他商品との差別化された機能やデザイン(付加価値)を考える部門として、日本の企業に、台頭してきて欲しい、ということではないだろうか。
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