京都へ、名士の紹介で行って、芸妓や舞妓と遊んでくる。しかも高いお金を払って。
そんな事が、何故楽しいのだろう、と、最近まで考えていたのだが……。(高いステー
キを食って、美人の女とホテルにしけ込む方が何倍も実がある、等と、ずっと思っていた
のだが……)
考えていく内に、少し持論が変わってきた。
究極の遊びが、お茶屋遊びということか。
三味線聴いて、踊り見て、それから芸妓や舞妓と簡単なゲームをする。(三味線や踊り
が、日本の伝統文化であるから、それに接する機会ということも出来る)
そのゲームで、ときどき相手の手に触れてしまうことが、何とも気恥ずかしくて愉しい
という訳か。
勿論、高くつくお茶屋遊びに行く人などは、異性との深い肉体的交わりは普段からある。
結局、そんな交わりでは満たされない心というものがあるのだろう。
童心にかえって遊ぶという事は、大人になるとない。
趣味も本格的なものになって、テニスや草野球にしても或る程度のレベルの者同士が一
緒に愉しむ。
たとえば、大人同士がかくれんぼとかする事はない。
結局、それは、性に目覚める年代になると、異性を交えての幼な遊びは出来なくなって
しまうのかも知れない。
大の大人が童心にかえって遊ぶ、ということが、「わび、さび」なのかも知れない。
かくれんぼにしても、アーミージャケットを着て、空気銃で撃ち合うといった本格的な
ものの方が、大人は楽しいのだろう。
結局、軽音楽で言う、編曲を変えるという事か。
いつも同じアレンジでは飽きるから。
そういう意味では、お茶屋遊びの対極にあるのがSMクラブか。
いやー、何とも……。
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