原稿は、一応、脱稿しました。
あらすじを決めていたのですが、あらすじに突入しないまま、日々の主人公の呟きを書いていって、そのまま日常だけを描き、253枚まで行ってラストとなりました。
先日の日曜日は、一杯ひっかけてから、ぷらっと図書館へ。
歩いて五分の距離に、市の図書館があります。
別の日は、先日出した原稿の審査の途中経過を知ろうと思って、市で一番大きな書店に行きました。
だいたい僕が新刊書店に行くことは珍しいのですが……。
行ってみると、書店がDVDレンタルショップになってました。
本屋廃業したのかな、と、一瞬思いました。書店は不況で閉めるところが多いのが現状ですから。
店員に訊くと、同じ経営のCD販売ショップと書店が、ごそっと中身が入れ替わったとのことで、元のCD販売ショップが書店に、書店は、DVDレンタルとCD販売のお店になったとのことでした。
『群像』の途中経過は、来月発表でした。
しばらくは、原稿を読み返さないことにして、次の構想を練ります。
先日芥川賞を受賞した田中慎弥さんでも、新人賞デビューまでに11年もかかっているのですね。
僕は書けはじめてからは12年ですが、書きはじめてからではなく、書けはじめてからですが。書こうとしてからだと19年になりますが、投稿生活オンリーになってからは未だ八年です。
何だか、江原啓之さんの言葉ではありませんが、こういう文学を書く生活に入ったのが、必然なような気がしてきまして。
妻が亡くならずに、営業でそのまま行っていたら、多分、原稿を精度の高いものにする、とか、本をたくさん読む、とか、まったくしてなかったと思うのですよ。
病気になったのも、もし、神経の症状などなくて普通に仕事が出来ていたら、それで満足して週末に妻と買い物に行って、三ヶ月に一度、旅行に行くぐらいで気が済んでいたのではないか、と。
もちろんパソコンも、今ほど触れるようにはなってなかっただろうし。
インターネットは障害者のためにこそあるようなものだ。ということが、或る本に書かれていました。
もともと軍事目的につくられたもので、大学の教授などが論文をやりとりするときに(或いは発表するときに)使っていたものですが、外で充分な活動ができない障害者にもインターネットは向いていますね。
それにしても、薄ぼけた写真、と思っていたら、露出の設定を上げたままにしていました。
先日もらった情報商材DVDで論説展開されていたのですが、世の中が不景気になったという実感がみなにあります。
それは、国民全体が中流以上という時代ではなくなったからですが。
市場に出回っているお金の額は変わってないわけです。それは、僕も薄々わかってはいたのですが、そうであるとすれば、スーパー金持ちが少ない割合出現している、ということらしいのです。
稼ぐノウハウを身につけた人は、メチャメチャ稼いでいる、ということのようです。
不公平だけを嘆いていても駄目ですね。
人生に勝たないと。
そんなことを思いました。
それでは、また。(^。^)
コメント
>sakamonoさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)