YouTubeで、何か面白い動画はないか、と探っていて、『ホリエモンチャネル』を見つけた。
村上龍さんの『龍言飛語』が停止になって久しいが、ああいう種類のトーク番組が僕は一番好きなので、今回みつけたホリエモンチャンネルも、同じスタイルなので、見つけて嬉しくなった。
一晩で、掲載中の動画をほとんど観たので、遅くなってしまった。
昨日、懸案がひとつ片づいたので、やれやれ、といった感じでの休憩となった。
今度は、稲見商会の本格始動が大きなイベントである。
仕事がメインになれば、自然と生活サイクルも出来てくるだろう。
いいものを自費出版しても売れないのですよ。ネームバリューがすでにあれば売れますが。
賞をとって出版社に販促してもらうのがスタンダードなやり方ですが、その賞は、なかなか獲れない。ほとんど運だけの世界ですからね。
食べていかないといけない。障害基礎年金だけでは、小遣いだけならなんとかなりますが、自動車保険料、健康保険料、プロバイダ料、光熱費、食費も含めると、とても賄いきれません。
谷町(パトロン)でも居れば別ですが。
というわけで、出来る仕事を模索した結果、自営の仕事という結論になりました。
ここ最近は、自身の経済の問題で懊悩していたから、必然、深酒が多くなりました。顔の皮膚から水分と油分が減って、酢漬けのような顔になってますね。まあ、極端に言えば、の話ですが。
もう、この辺で、健康を回復しておかないといけない。
生活サイクルを一定化することは、健康管理に於いて大事なことです。
その一番の近道が、仕事をすることですね。(執筆でもいいのですが、窮乏してますからね)
今日は、このまま徹夜ですね。あと数日だけ自由の利く時間があります。
仕事の予行演習もしておかないといけないのですが。
今週は、テニスと通院の予定。
その後、広告を打ち出しますが、媒体名とか日時は伏せておきますね。サプライズでお楽しみください。
順調に収益を得るようになったら、もっと遊びに動かないとね。
先日、友人と話していた会話内容。
「そうか。宣伝するんか。ホナら、仕事がはいってきて忙しいなんでェ」
「まあ、少しはな」
「いやいや、いつ(電話を)掛けても、話し中になんでェ」
「そないなったらエエのにな」
「お客さんは、どういう層や」
「老人が多くなると思うな。インターネットに詳しくないのは老人やろ」
「ホナ、そこの老人が、『実は、ワシの娘をもろてくれへんやろか』いうて言うでェ」
「だいたい70代の老人やで? 娘、何歳よ」
「まあ、40以上やな。そいでも、ずっと未婚の人とかバツイチで家に戻っとる人も多いでェ。もう、子は作らへんたらエエやんか。2~30年は、楽しい生活が期待できるでェ」
と言ってました。
ちょっとリアルすぎましたか。(笑)
では、また。(^。^)
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オークション出品代行!(山雨乃兎の副業『稲見商会』) トップページを固定しています。最新記事は、(<<)ボタンで、ひとつ戻ってくださいね。 『秋の並木道』 西脇市 日本へそ公園より こちらもご覧ください。→ ブログカスタマイズ! 小説家、山雨乃兎の副業、『稲見商会』 このブログで真っ先に読むべきは、『ラフに語る、つれづれ記』です。 その後、全体を俯瞰するには、こちらのサイトマップをご覧ください。 現在、休筆中です。 ブログに掲載している作品は、ごく一部です。一旦賞に落ちた作品です。四ヶ月で200枚くらいのペースで、200枚程度の中編と300枚越えの長編を、九年間書きつづけていますので、短編も含めて、もう、何作書いたかは、忘れました。最長編は、606枚でした。 閲覧には、余分な緊張の必要がありません。 それが、ブログというツールの優れたところです。 どうぞ、ごゆっくり。(^^:; 1ページの表示記事数を、一件に戻しました。写真は、ほとんど200万画素、「軽い!」「表示が速い!」山雨のブログを、これからもご愛顧くださいね。 拙著『壁蝨(だに)』も、ご購読ください。 もし、このサイトに戻ってこれなくなったら、「山雨乃兎(やまめ のうさぎ)」で検索してみてくださいね。 よろしくお願い致します。 山雨乃兎 山雨フリークの方に、こっそりお伝えします。 このブログの記事を、隅から隅まで読むには、月別アーカイブがお薦めです。 現在の月別アーカイブは、こちら です。 【8件表示にしたので、動作が軽くなりました!】 執筆中の著者 山雨乃兎(やまめ のうさぎ)とは?↓ プロフィール(↑ ご覧になったあと、バックスペースキーで、戻ってきてくださいね) 山雨乃兎(やまめ のうさぎ)詳細プロフィール 本名、稲見良一。1963年6月6日、兵庫県西脇市に生まれる。二回の東京への家出時期を除いて、現在も、西脇市在住。 高卒。男性。現在独身。妻とは死別。 中学時代は、三年間吹奏楽部に在籍。担当楽器はトロンボーン。 三年生の時、友人たちの推薦で部長に抜擢される。同年、同部は全日本吹奏楽コンクール東播大会金賞...